三菱銀行の人物リスト
三村君平
三菱合資会社銀行部部長、三菱合資管事
- 臼杵藩士の次男として生まれるも、幼い頃に両親を亡くし養子に出されて育つ。武道に秀でた家系に育ち、西南戦争においては臼杵に攻め入る西郷軍と戦う勤王臼杵隊に参加、激しい戦闘の末、三村は逃げ延びるが叔父を亡くしてしまう。
- 明治九年の新銀行条例において臼杵藩士の国立銀行を作るために奔走。東京で簿記術を学び、第百十九銀行設立後は東京本店の副支配人となる。経営危機にあたって三菱に買収された際、同じく臼杵藩出身であった荘田平五郎の強い説得で三菱財閥に入る。
- 三菱銀行内では部長の豊川を事務面で支える。名利を追わず奇策を弄せず、業務に忠実である典型的な三菱の忠臣。本人は晩年、三菱を辞職し臼杵に帰ることを望んでいたようだったが、遂に叶わず東京で死去。
おすすめ資料
『大分県人士録』(大分県人士録発行所、1914年)
国デジで閲覧可。国デジの中での三村君平はほとんど豊川の章の文中で出てくるものばかり、三村君平単体の記事は少ない。これは数少ない中でも分量の多いもの。やはり紳士録は偉大也。
吉田稔『三菱を支えた臼杵藩士 三村君平』(1992年)
大分県臼杵町の歴史から三村君平に興味を抱いた著者が書いた三村君平の伝記。内容は主に臼杵時代のことを重点的に描いている。三菱グループや三村君平の遺族から資料提供を受けて書いており、特に三村君平の青年期に関しては必見の内容。三村と第百十九銀行……幸せになって……という気持ちと、でも三村は臼杵に帰りたいんだよね……という感情のジレンマに挟まれてしまう😢
豊川良平
三菱合資会社銀行部部長、三菱合資会社管事
- 岩崎弥太郎の従兄弟。幼少期に両親を亡くし、弥太郎の元に引き取られる。土佐藩邸や慶應義塾に学んだ後、13歳歳下の久弥の世話役となる。三井合資で主に銀行部の世話をしていたが、後に三菱を辞めて政治家に転身する。
- 仕事においては、細かい事務を部下に任せ自身は外交や人事に徹した。財界人や政治家に太いパイプを持ち、世話好きで多くの人物を抜擢し出世させた。
- 性格は快活豪胆で粗大な漢。土佐訛りと話好きで有名だが、演説は下手だった。同期で親友の荘田平五郎曰く「雄弁をふるうことは出来なくとも座談に長じた人」酒好きであったが、酒癖もなかなか……。財界の名物男として多くの逸話を残す。
おすすめ資料
鵜崎熊吉『豊川良平』(豊川良平伝記編纂会、1922年)
国デジで閲覧可。1920年の豊川の死去すぐに編纂された評伝。古い本だが、一ページの文字量は少なく文体もそこまで固く無いのでかなり読みやすい部類に入るのではないか。評伝だけでなく逸話集が最後についてくるのも豊川らしくて良い。おまけの関係者の回想には大隈重信やら渋沢栄一のような大物から木村久寿弥太など部下まで多数。こんな有難い本がタダでどこでも読めるなんて、本当にありがとう、国デジ……😢
嬌溢生『名士奇聞録』(実業之世界社、1911年)
国デジで閲覧可。主に政治家や財界人の逸話を集めた本であり、ぶっ飛んだ話からしょうもない話まで多岐にわたる。少し文体が難しいが、近代文語文を味わう気持ちで楽しもう。ユーモラスな話ばかりなので、近代の人々の人間味を存分に味われる。目次を見て他の人物の逸話を見るのも良し。久弥のこと褒める豊川が最高なので読んでください。
嬌溢生『独笑珍話』(実業之世界社、1907年)p.150-154
国デジで閲覧可。豊川良平と荘田平五郎の好対照は長らく語られてきたものですが、中でもこの文章は多岐に渡る点で対比がなされていて読み応えがあるのでおすすめ。こんな好対照を成しているのに5歳上の荘田の方から豊川に対して「親友」って言ってる(『豊川良平』)の、本当に希代の名コンビだよ……。
木村久寿弥太
三菱合資総理事
- 土佐藩藩士の息子、幼少の時叔父の木村家の養子となる。青年期に上京して帝国大学政治科を卒業。外交官志望であったが就職できなかったため断念。卒業以前から豊川良平のスカウトによって三菱家に関係があった由縁から、岩崎弥之助に面会し三菱合資に入る。
- 三菱合資では銀行業から丸の内の建築業、石炭業まで幅広く研究し実務に当たった。各地の支店長を転々とし、合資から三菱鉱業会社に移動したり三菱銀行が独立した際にはその経営陣に加わったり。最終的に三菱合資の総理事となる。
- 精悍かつ直情径行、色黒で体格の良い人物、よく土佐犬に喩えられる。部下には丁寧、女遊びをせず家庭においては良き父親、と言うわけで社内の信頼厚き人物。ただ新聞記者嫌いであったため、秘密主義との批判を受ける。
おすすめ資料
実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝 上巻』(実業之世界社、1936年)
国デジで閲覧可。木村の略歴と性格や趣味が簡易的に記されており、まず初めに読むにはぴったりのお手頃さ。言葉遣いもほとんど現代と変わらないので読みやすい。
実業之日本社編『奮闘活歴血涙のあと』(実業之日本社、1925年)
木村の幼少期から青年期にかけての経緯を知ることができる本。しかし本人が書いたor精査したものではないので史実に合っているかは要注意といったところ。しかしこの近代文語文の熱い色調でかたられる物語然とした文が良い。この本には他の財界人の評伝、中には自伝も載っているので、財界オタクは目次を見て推しを探そう。
串田万蔵
三菱合資総理事、三菱銀行会長、明治生命保険会長
- 父親は群馬県出身、江戸の商家に丁稚奉公に出てのちに日本橋に店を構えて独立した人物であり、国立銀行の経営陣に加わっていた。万蔵は長男として生まれ、漢学塾、大学予備門に通った後に米国に留学、米国の商会で数年勤務した後に帰国し、三菱銀行(当時は三菱合資銀行部)に入行する。
- 温厚円満で鷹揚たる性格。正直で裏表のない人物であり、新聞記者にも快く面会してよく意見を発した。
- 銀行界においては三菱の代表者……だが、串田のあまりに温厚すぎる性格、闘犬の如き池田成彬や結城豊太郎には勝てぬと思われたためか、対外政策における三菱の代表者としての席は東京海上火災出身の各務鎌吉に取られがちである。
おすすめ資料
実業之日本社編輯局編『財界巨頭伝 : 立志奮闘』(実業之日本社、1930年)
国デジで閲覧可。串田の経歴を詳しく書いた文。近代文語文なので少し読みにくいところはあるが、父親の経歴から詳しく描いてくれる分、オタクにとっては嬉しい内容。
国民新聞経済部編『日本財閥の現勢力』(千倉書房、1935年)
国デジで閲覧可。三菱や三井など財閥の人物像や関係を描いた本。串田の文章は短いように思えるが、部下や同僚との関係についても記してくれているので、読み応えがあると思います。そして三菱合資の人物や関係について簡易的に知ることができる。
瀬下清
- 信州長野県は佐久の出身。旧制東京商科大学(後の一橋大学)の前身である東京高等商業学校出身。卒業後すぐに第百十九銀行に入行し、そのまま三菱銀行へ。外国語が不得手であったが、夜学で外国語学校に通い、その優秀さから英国へ勉強のための視察を命じられた。
- 見た目は細身で肌白いが、その気性は口手八丁の切れ者。頻繁に世相の論評を行い、その鋭さから好評を博した。その溌剌たる性格は、度々温厚な串田と比較され、三菱銀行の厳母慈父と称される。
- 銀行経営においては、経営の見通しぶりと、面倒見の良さで知られた。特に昭和の恐慌においては三菱銀行の資金融資を強調することで中小銀行を取り付け騒ぎから救済した。一時は日銀総裁の候補に上げられたが、本人が三菱から離れることを嫌ったために辞退。
おすすめ資料
池田さぶろ『財界お顔拝見記』(新時代社、1931年)
国デジで閲覧可。瀬下清の似顔絵付き評伝。口語文の織りなすユーモラスな紹介文は非常に読みやすく、いかにも人間味に溢れているので、ぜひご一読。すでに国会図書館に利用者登録をしているのであれば、ログインで読める『銀行論叢』もオススメ。こちらは瀬下の仕事ぶりや性格に関する記事。
佐久市「信州財界の救世主 瀬下清」(『広報佐久 別冊』2003年)pp.12-13
おいおい……地元に愛されるってことほど、嬉しいことはないから。佐久市の偉人特集冊子において取り上げられた際の記事。片岡蔵相の失言事件後、地元長野の銀行での取り付け騒ぎの危機を救った様子や瀬下の性格が分かるエピソードが描かれている。