題名の通り、記事分類に新らたなカテゴリ、「BLOG」が誕生いたしました。ほか、おさかな本棚のことなど。
新カテゴリ「BLOG」について
最近、サイトの運営の仕方を色々考えた結果、もうちょっと積極的に更新していきたいな〜という答えを出したため、その工夫の一つとして、この「BLOG」カテゴリを生み出しました。
このサイトは近代財界に関する情報を集めて、固定化するために設けたため、最初はブログをつける考えはなかったのですが、そうした情報だけでなく、個人の持つ歴史や創作に対する考えを置く場所があっても、サイトを構築する一つの世界観として、ありかな〜という考え。
BLOGカテゴリでは、日記と称したvar:Int!の近況報告や思考が書きつけられる場所になるでしょう。旅レポや創作お役立ち情報などは、以前と変わらず、TEXTの方に行きます。
要するに、史料や施設、他の商品・サービス等などに基づかない個人的なものを書く欄ですね。
さて、サイトを更新に関しましては、月に一度以上を目指したいと考えております。
できれば、BLOG以外の頁を更新+αという形で行く。先月は松永記念館、今月は『日本政治史』ですでにクリアしてるっチュ〜わけ。
「おさかな本棚」について
『日本政治史』の話が出てきたついでに、このシリーズについてもお話しましょう。
「おさかな本棚」は、記事冒頭でも書いた通り、var:Int!が読んだ本の中でも、特に歴史オタクの方々へおすすめしたい本を勝手に紹介するシリーズです。
オススメする本の選出基準は、「高校日本史程度」の知識の人が、「体系的に歴史を知れる」こと。
自分が歴史学を研究する際、どんな本を読めば良いのか、全く見当がつかず苦労したため、こうした備忘録を遺し、後学の方々を応援したいと考えてのシリーズです。
人物から歴史学に入ると、評伝ばかり読んでしまうため、視野が狭いまま固定されてしまいがちです。
しかしながら、その時代そのものを体系的に調べることで、その人物の思想の変化や、あるいは人間関係の変化というものをより深く理解できるようになります。
例えば、自分の最推しの一人、武藤山治は後年、鐘紡を出て政治活動を展開します。そこで武藤は既存の政党、議会政治に批判的な意見を次々に発表しました。
武藤の評伝だけを追った場合は、鐘紡において科学的管理法を筆頭として合理的な経営に邁進してきた武藤が、政界でもそうした合理性をもって、(悪く言えば)票を得るために有権者の私欲や政権の奪い合いで立場を軽々しく変える政党に批判的な指摘をしたんだ、と考えるでしょう。あるいは、福沢諭吉の自由主義論、実業家が大成して政界へ、という構図を受け継いだ結果なのだと。
しかし、政治史を絡めて考えた場合は、もっと武藤自身の人生経験を深堀りすることができます。
実は武藤は明治二十年代、明治政府の対外方針、西欧化推進政策に反発する「大同団結運動」において、リーダーとなった後藤象二郎の秘書を務めていました。
この大同団結運動は、主に後藤象二郎ら率いる自由党勢力が中心でしたが、一方では、『日本人』を発刊した政教社の陸羯南や志賀重昂などの都市部知識人、新聞雑誌記者らが活躍した運動でもありました。
彼ら新聞記者は自由党勢力を支持し、その紙上で明治政府の鹿鳴館外交や、不平等条約改正のため最高裁に外国人を登用するという政府の姿勢、そして外国人の内地居住許可を批判したのです。
外国人の内地居住を批判したのは、当時、隣の清において、内地に外国人が進出した結果、国内の産業が発展する前に彼らが工場や鉄道などを建てたり、あるいは作物、美術品の直接買付をしたり、様々な要因で清が経済的に不利になってしまったからですね。
政府の急激な西欧化が、既に存在している日本の経済社会、人々の思想に結果的に悪影響を及ぼすものとして追求し、この運動の中で「国粋主義」という言葉が生まれたことも見逃せません。
当時において新聞雑誌記者というものは、まさしく(藩閥出身者、そして当時官僚登用試験をパスする特権を持っていた帝大卒業者を除けば)「学生のなりたい職業一位」といえるものであり、慶応出身で留学帰りの武藤も、外国資本の新聞会社で翻訳の仕事をしながら、この運動に参画していました。
今の時代で言えばYoutuberのような感覚?やはりいつの時代も、自ら情報を発信する人が一番人気なんですね。
記者は、ただ新聞雑誌での記事執筆のみならず、演説や政策の提案、議会に提出する建白書の原案作成などを通じ、政治に参与。
自分の考えを社会に広め、そして実現する。その姿は、武藤を含め、当時の知識層の青年たちにとって、何より理想的な社会人として映ったのです。
しかしながら、この大同団結運動、その結末は理想とはかけ離れたものになりました。
運動のリーダー、後藤象二郎が、逓信大臣のポストと引き換えに明治政府に抱き込まれ、なかば空中分解のように散逸してしまったからです。外交問題や経済社会への懸念、結局全てが、後藤率いる自由党の政争の具だったという顛末。
この経験は、その間近に居た武藤青年に、如何ほどの挫折感、政治家への失望を与えたでしょうか?
武藤山治著『私の身の上話』64-65頁
「(大同団結運動を)結果から見ると後藤一人を入閣せしむるために大勢が騒いだのだと言ふことにもなるが、又大勢が後藤の政治的野心を達する踏台になって馬鹿を見たとも言へます。尤もこんなことは政治運動の常で独り其時に限ったことではありませぬ。」
上の二文における武藤の怒りようも、当時の大同団結運動の実情、参加した人々の価値観、中心となった新聞記者への憧憬──そういった様々な背景を知ることで、さらに引き立つというものなのです。
そして、これこそが武藤の政治への批判的な見方を強くした、原体験の一つだったのでしょう。
このように、人物のみならず、人物が生きた時代そのものを、政治、文化などの側面から包括的に捉えることは、人物への理解を深める良い助けになるでしょう。
皆さんも、史学に、手を出そう!
さて、まぁこんな感じで、色々書いていきます。
これからも、さかなの用箋挟を、どうぞよろしくお願い申し上げます✌️