小田原市・松永記念館に行ってきた!
SNS(X)の財界推しFFの方のポストで松永記念館が小田原駅にめちゃ近かった(リンク先は小田原市HP)ことを知ったので、それ以外なんの事前知識も無い状態で小田原へ行きました。
ようするにこの旅の全ては勢いで行われている。
うおお小田原だーーー‼️😁
小田原駅のここ好きポイント

デカい提灯

表示もデカくて分かりやすい

駅構内(ホームではない)二階にまで侵入してくるハト
小田原駅のここ好きじゃないポイント

箱根湯本行き電車が3分の2番線みたいな構造になっており初見殺し
自分は小倉-筑豊田川でも同じような目にあって1時間追加で待った。電車が停まる位置には気をつけよう‼️😭

なお松永記念館へは小田原から箱根登山線箱根湯本行き各停1駅(箱根板橋駅)+徒歩で行ける!
楽勝ですね。キャリーを小田原駅へ預け、電車に乗るぞ!
ちなみに小田原駅の新幹線-箱根登山線乗り換え口周辺で見つけられたキャリーの入るロッカー(大)の部屋数はおよそ12室ほどでしたが……料金は……800~1200円です。
すッげえ……文庫本一冊分⁉️😭なお、探せば700円のものもあるらしい。
箱根湯本行きの電車内は明らかに湯本に行く人間ばかりで荷物と団体の圧がすごい。
そして多国籍だ!集団で地図を開いている人々もちらほら、「旅」て感じがして、良いね……👍
なお、反対側の新宿行きはマジで地元民の方ばかりでした。凄い”差”。
一駅なので速攻板橋に着いた。

あの巨大な小田原駅を一つ離れたらこんなに駅が素朴に。地方都市あるあるですね。
地方都市周辺の生まれの自分には故郷って感じではある☺️

小田原名物、急斜面に家屋。
松永の故郷(の付近)の長崎駅周辺の景色と似ていますね。(下は長崎駅周辺)

なんの根拠も無い私調べによれば、斜面に家を建てるのが小田原や熱海のような海の近い観光地であり、建てないのが農家(+農地)の多い内陸を走る伊豆箱根鉄道周縁です。
でも普通にこういう社会と家の建築地に関する民俗・社会学の研究は沢山ありそう。
(隙あらば急に本題と別の話をしだす、オタクの悪癖)
おっと、ここで報告ですが、時刻は駅に降りた時点で既に15時越えです!
ッ……!お前!そんな時間で!観覧間に合うんか〜〜〜⁉️😭
実はこの日は小田原行く前に色々起こり(適当すぎる説明)、結果、こんな時間になってしまいました。
普通に焦っていますが、逆にもうどうしようもないが♬という諦めの境地もある──これが人一倍失敗してきた人間の境地だ‼️😁

あ、駅出てすぐこんな看板が!?
テンション上がるぞ🎶🎶🎶
全く事前知識が無いから初めて知ったんですが、松永記念館と山縣邸ってこんなに近いんですね。

観光地ともなると、集水桝までデザインされている。粋。

色々書いていたら、もう着きました。
温泉地でよく見るフォントが左手でお出迎え、松永の性格とは真反対のようなフォルムで癒やされます。(松永に対するイメージが偏っているオタク)

松永記念館は松永安左衛門旧宅と野崎廣太茶室、小田原郷土文化館分館がセットとなっている。
手前に見えるのは小田原郷土文化館分館だと……思う、多分(地図見てないため、違う可能性あり!)

入るなりめちゃ大きい庭、水面をのぞくと、稀に錦鯉の影が見えるかもしれない。

池の直ぐ側にある野崎廣太茶室は本日のメインではないため、写真なし。各自、己が目で確かめよ。
個人的な感想としては……茶室って、なんか、ミニチュアの家って趣があるよね。松永、このにじり口、くぐれるか?と勝手に心配していました。
ところで、野崎廣太といえば、中外商業新報の社長です。
中外は真面目な内容の本が多いので、あまり推し財界人の悪口を言われたことがない気がします。つまり、良い新聞……ッてコト?!
まぁ、たとえ推しの悪口言われても、私は実業之世界社や国民新聞社(蘇峰在任時代)を愛しているんだが……🥺
(なお、二六新報は未だ愛せない模様、三井三田系オタクとしてはね……😭)
池の奥の階段を登って、松永邸&茶室へGOだ!

デカすぎる大木、神社か?
ようやく「松永」らしくなってきたな!(松永に対するイメ……後略)
松永オタクは素通りせず、先に撮っておこう……😢

そしてこちらが松永の茶室、無住庵🥺
野崎廣太の茶室を見てきた後だとだいぶどデカくシンプルなデザインに見える。それもそのはず、なんたってどでかい庭園に構える典雅な茶室ではなく、田舎家風の茶室だからね。
この家の構造……これ、筑豊田川の社宅で見たやつだ!正方形型2DK。こういったシンプルででかいデザインも、「松永」っぽいな🎶(松……後略)

こちら、居住していた老欅荘。
猛烈な西日を手で遮り、頑張って撮影。
なお館内は個人で楽しむ範疇に限り撮影可能。つまりサイトではお見せできません。とりあえず、とても面白い作りだったと言わせて下さい。
ボランティアの方がいらして、二十分ほど説明してくださりました。内容について、ですが!?松永オタク仲間の楽しみを奪わないために、伏せておきます。各々自身の耳で確かめよ。
あ、でも、これだけは言わせて……話の中に池田「しげあき」が出てきて、過激派池田強火担は、敗北を覚えた。(厄介「清貧」呼び厨を自認する財界オタク)
説明の感想としては……松永って……DIY、大好きじゃん!
天性のデザインセンスがある……と感じたけれども、勉強好きだったから、自分で勉強した結果なのかも。
後は下って、展示室を眺めに行きました。
なおこちらも普通に撮影禁止です。
蘇峰記念館で狂気的なデザインの杖を数十本も見てきた身からすると、松永の杖は全部マトモな形をしていました。マトモっていうか……なんかすんごい、強そう(小並感)
益田との関係を強調する資料が幾つかあって、そこはびっくり。六十歳からの付き合いでこんな仲良くなるとは……お互いもう角が擦り切れた頃合いだからか。
個人的には分館一階にあった布袋と益田の絵がめちゃ微笑ましかったです。
あ、中央亭のオタクとしては、東邦電力の写真に東京海上ビルが出てきて、感無量♡
史料館では、政治史に関わる研究報告書を一号だけ頂いて(500円)帰りました。

帰りに池を見たら、青鷺がいました。
絵になる〜〜〜。
ところでこうして見ると、青鷺って……松永っぽくないですか?
縦にデカくて直立不動という感じ、目の上の濃いライン……う〜ん、オタク特有の万物を推しに通じさせる認知の歪みなどでは無く、普通に松永っぽくないですか?

松永記念館をでたら、眼の前に「あの」(リンク先は小田原市HP)マンホールが!?
マンホールがあることだけ知っていて、位置を把握していなかったので、個人的にはもの凄く嬉しい出会いでした。
しかもSNSで見て一番良いな〜と思っていたデザインなのもHAPPY!
なお、すでに時刻は16時半を超えているため、今回は山縣有朋関連の施設には行かず、帰ります。
いつか、政治史を勉強し直してから……行く(大正政治史敗北者)
なお松永記念館は基本的に16時半までの営業、15時についてぎりぎり概ね回れるかなと言うくらいの長さでした。
余裕のある方は山縣邸などと合わせていくのが良いんじゃないでしょうか。
余談ですが……地元の方のお話では、小田原駅から見れる小田原高校、じつは吉田松陰の妹の子(後、吉田家養子)が初代校長。
校内には山縣有朋や大山巌の書、横山大観の富士などがあったそうじゃ。先生方は経営難になったらこれを売るしか無いと言っていたそうな。
ヤメテ……頼むから公共施設等に寄贈して……(しかし、これは部外者の傲慢です)
帰りは小田原駅に寄ってお土産を購入だ!
ところで最近の小田原駅周辺、開発やばくない?
塩漬けになっていた土地が急速に開放され、東、西口ともに駅ビルやホテルなどがボンボン増えていらっしゃる。
熱海に刺激されて東急の駅直通ホテル構えたりドトール、スタバ、タリーズの三分鼎足を生み出したりしてる三島駅の姿がだぶる……と、言いたいところですが、今の三島駅ごときでは普通に、小田原駅の足下にも及びませんね。
これは三島駅を十年以上幾度と利用したことのある沼津駅、そして米山梅吉(記念館は三島駅からおよそ徒歩30分)のオタクとして断言します。
三島駅は、早く、若者が遊べる場所を、カラオケ以外にも増やしな⁉️😢でもこの冬は、三島田町の佐野美術館✕とうらぶのコラボが熱かったとか。
なぁ沼津、お前も……いい加減、ラブライブ以外の良い子を見つけに行かないか?
いや、もしかしたら、吉本興業が”そう”なのかも……?
いかん!これ以上静岡のことを語ると、マジで本筋に戻れなくなる!
話と目を売店に戻せ!あッ!

小田原で「宮内庁御用達」銀座コロンバンの分家筋、発見!
宮中グループの勉強をしていた身としては見逃せませんねぇ🎶🎶🎶
固不俟論、小田原フレンチパイを、購入させて頂きました。
ちなみにその勉強の結果、宮中で一番好きだと思った男は、牧野伸顕です。[不必要な自語り]
俺が、牧野を救いたい──😭[誰?]
『西園寺公と政局第二巻』昭和九年七月六日条
「どうも(牧野)内大臣始め側近の方々が、政変のやうな場合に、いかにも非常に大げさに考えて騒ぎ立てられるやうに思ふが、甚だ面白くない。……(牧野)内大臣なんかに、頭から水でもぶっかけてやれ」
これは西園寺が牧野に会いに行く原田に無茶な冗談を言ったシーンです。
この無茶具合が西園寺って感じですね。
なお、原田からこの冗談を聞かされた牧野は、苦笑する他無かった模様?細かいニュアンスは、原典を見よ。
でも、この本は国デジログインですら見れないので、図書館へ行くのが良い……いやでも案外買うのがいいかも?
読み物としても十分に面白い日記なので、昭和期に興味がある方は買って損ないとおもいます🎶私は二・三巻だけ買いました🥺
林銑十郎のオタクとしては是非第三巻の真崎教育総監更迭のシーンを見てほしいですねぇ‼️😁
『岡部⻑景日記』p.144(なんと私のミスにより日付のメモが無い⁉️😡)
「(森恪元外務次官のインタビュー)今回の政変(田中首相叱責事件)が宮中の陰謀により、陛下が満州某重大事件につき此上聞く必要なしと宣せられしは、内大臣侍従⻑等の輔弼其宜を得ざる為にて、これは憲政上の重大事件にて側近は断然改革せざるべからず」
『続・現代史資料5海軍加藤寛治日記』昭和五年三月二十三日条
「牧野内大臣、鈴木侍従⻑と会見、其軟化甚だしきに驚く。君側の為めにならん人物」
出たーーー!「君側の奸」の論調だ!
なお、下の資料に関しては、ついでに『西園寺公と政局』同日の口述、『木戸幸一日記』昭和八年八月二十九日〜九月一日の記述、そのほか茶谷誠一先生の牧野、宮中に関する本を読み給へ。
鈴木貫太郎の個人的スーパープレーにより、ロンドン海軍軍縮条約締結と引き換えに牧野が大炎上して右翼の暗殺対象常連になる、かなり理不尽な流れが見れると思います。
これが歴史だ😭
『河井弥八日記』昭和七年九月七日条
「斎藤首相、本日御殿場に⻄公を訪問す。満州国承認に付て説明せしなるべし。…(中略)…今日の事態は五月十五日以後の状況に比して大小軽重、到底同日の日にあらず。然るに元老、重臣、悉く眠れるが如く、国務機関の活動、軍部を除いては何等意に介せざるが如き観あり、深憂に堪へず。…(中略)…(牧野)内府に進言せんと欲するも、気甚進まず悒悶頗深し」
説明も要りませんね、昭和五年以降の宮中牧野グループにおける鬱としか言いようのない雰囲気がにじみ出ています。
なお、この前後の期間、河井はたびたび、不眠(あまり良く眠れず)を記録している。
鬱。
『入江相政日記』昭和十年十二月二十六日条
「(牧野)内大臣交迭の上奏物を余が持って出ると御裁可後御上はお声を上げてお泣き遊ばした。職を退く牧野旧内大臣の老躯を思ひ浮べさせられての事と拝察する。実に感泣の外はない。胸が一杯になる」
牧野が、自身の体調悪化を理由に、西園寺、天皇の再三の慰留を振り切り、退職した際の天皇側近の記録。
牧野は、大正後期から宮内庁に関わり、元老山縣有朋の影響力が色濃かった大正期宮内庁を改革によって一新、国民に対する皇族のイメージを、神格化路線から大衆化路線へと切り替え、その養育方法やメディア統制の指揮をとった人物です。
まさしく、昭和天皇の最も多感であった思春期〜青年期を取り仕切った人物なわけですから、天皇からすれば、ある種「第二の父親」のような存在だったでしょう。
そんな人物が、自分と右翼等の板挟みになって体を病んだら……それは、主上といえども、泣く。
皆様……伝わりましたか?
私が、「牧野を救いたい」と、言った気持ち……😢
ところでなんで松永の関連施設のレポでいきなりこんな濃度の宮中グループの話を!?😡
まぁ松永って宮中グループの……な、何て言えばいいかな?調べれば調べるほど、なんと言えば良いのか分からなくなる存在、西園寺公三羽烏の一角、近衛文麿と(一応)縁があるので、無関係ではありません。
そういえば、近衛は戦時中自身が首相になったとき、松永に……おっと、ここから先は、ぜひご自身で調べてみて下さい。皆も……宮中のどうしようもない停滞、閉塞感を目にして、絶望しよう(つまり、元気じゃない時にはあまり調べないほうがいい話題です)。
なお、こちらは偉い人に[[[お伺い]]]を立てるようの土産物とさせていただく……。
その他小田原城の形をした最中や美味しそうな大福なども買って、宿へ向かいました。
土地に金を振りまいていく!これが観光客の鑑だ🥺
歴史オタクの皆も、新横浜で止まらないorこだま以外の新幹線で素通りしないで、小田原に降りてみよう。
以上!閲覧、ありがとうございました〜〜〜!
