奇石博物館行ったレポ!

 奇石博物館へ行ってきたよ〜という旅のレポ&皆も……是非行こう!という布教記事です。

 Q.そもそも何故、奇石博物館へ?
 A.八幡製鉄所の創設期を指導した二代目長官の和田維四郎が、「日本近代鉱物学の父」と謳われていたので、鉱物学にも少し興味が湧いてきたからです。
 それに和田長官は子供の頃から海岸で石を拾っていたというエピソード超好きなんですよ🥺こういう……人間の根源的な興味、良いよね。めちゃ楽しそうで、自分もやってみたくなるというか……。石とか木とか拾いたがるのめちゃ分かる。推しの蘇峰もよう拾ってたし(早川喜代治先生の『徳富蘇峰』をぜひご一読)。
 


 

奇石博物館


  • 場所:静岡県富士宮市山宮 3670
  • 営業時間:9:00〜16:45(水曜定休日)
  • 電話:0544-58-3830
  • HP:『奇石博物館』(http://www.kiseki-jp.com)
  •  

    展示内容と感想

     というわけで早速感想を言うと……めちゃ楽しかったです!勉強になったのもありますが、一番は楽しかったというところです。
     それもそのはず、元よりこの奇石博物館のメインターゲットは「未就学児〜小学生の子どものいる家族向け」なので、基本的には知識がなくても楽しめる展示品が中心だったのです。この博物館は駅から遠く離れた山中にありますので、週末に車で来るファミリー向けな展示を行っているのでしょう。勿論、カップルで来ていらっしゃっている方々もいましたが‼️😚


     この展示とか最高にfunnyですよね。組成や構造などは気にせず、まずは見て楽しもう、興味を持とうというのがこの博物館のモットーだというのが伝わってきます。
     まぁ、こうした展示には、単に家族向けと言うだけでなく、実はもっと深い理由もあるのですが……。

     
     初手天井にティラノサウルスの頭蓋骨。小学生の心を鷲掴み‼️怖くて迫力が……いや首だけだとちょっとシュールだな……。
     奇石博物館、鉱物の博物館かとおもいきや、実は化石もメインらしく、沢山の展示品がありました。この博物館のある、富士山の周辺では昔から化石の発掘調査が行われてきたからですね。

     入口には学芸員の方がいて、小学生など家族連れのお客さん相手に面白い鉱物の話をしたり、同時に触らせてくれたりいました。サヌカイトの石琴を演奏したり、水入り瑪瑙を見せたり……。
     こうやって、入口からお客さんに向けてキャッチーな体験展示をすることで没入させる……ってコト?!他の自然博物館では中々見ない工夫。この博物館は中規模でお客さんの流れを管理しやすいからこそできる方法なのでしょうか。
     幾つか聞いた中で、自分が特に面白いなと思ったのはアメジストに関するお話。溶岩が固まる際にできた空洞に瑪瑙が生成され、更にその上に水晶が生成されることで、アメジストは多層的な見た目になる云々。下の写真では紫色の部分が水晶で緑色の部分が瑪瑙。これは自分が石フリで買ってきたものです🥺やっぱアメジストはこういうダイカットなものが好きなの。


     ちなみに、製鉄所のオタクとして、学芸員さんには「鉄鉱石に関する……面白い話ってありますか❓️😄」と質問してみましたが、残念ながら今はまだ無いそうです……石灰石とかならあったのかな、八幡……😢
     あともう一つ、入口には寄贈者名簿もあったのですが、学芸員さん曰く、当館の寄贈者の多くは、「終活」として自身のコレクションを寄贈するご年配の方が多いそうです静岡県だけでなく東京都や青森県など様々な個人の方が何十という量の石を寄贈している記録は……思わず、彼らの収蔵庫を覗いてみたくなるような気にさせられます。あ、三菱の関連企業や国会議事堂もいたよ。


     時代を感じるアンティークな標本棚、これが並ぶさまも中々圧巻でした。自分がよく行く社会科学系の博物館だと、こういう展示棚は滅多に無いからね。

     また、この博物館の凄いところは、積極的に資料に触らせてくれるところ!
     
     このように、ガラス無しで展示されているものの多くは自由にタッチOKで、こうした体験的な展示も小学生の心を掴む要素だなぁと、小学生の心を持つ自分は感嘆。


     鉄鉱石を持ち上げようとするも、思ったよりかなり重くて、びっくりしちゃった図。

     

    奇石博物館の背景

     以上、色々博物館の感想について書きましたが、ここからはこの博物館の背景について話そうと思います。

     この博物館、何故こんな山中で”鉱物や化石”をメインの展示をしているのか、そしてなぜ地質学や鉱物学の名を冠さず、”奇石”を名乗っているのか、そして何故”知識が無い人でも楽しめる”をモットーにしているのか……その様々な疑問の謎は一人の男が握っています。
     それがこの博物館のキャラクター「石亭くん」の元になった人物、木内石亭


     彼は江戸時代中期に生まれた町人、そして、人々が鉱物を楽しむための手引書『雲根志』を書いた人です。勿論、彼は当時における学者のような人物でありますが……それだけでなく、「石の他には楽しみは無し」と語った逸話から分かるごとく、まさに江戸時代の石コレクターの代表的人物だったのです!
     『雲根志』は、様々な鉱物を、精密に描写した挿絵や文章による見た目や特質の説明と共に、その鉱物にまつわる中国や日本における様々な民話などと並べて紹介した本。


     それは、鉱物を学問としてだけではなくて、趣味のものとして楽しむための見方が明確に打ち出されていました。鉱物を全く知らない人が見ても、文学的側面や、奇妙な見た目から思わず興味を惹かれてしまう……そんな親しみやすい内容から、彼の名前と本は人々の間に広まり、当世のるるぶこと『東海道名所図会』にも石亭の名が載ったほど。ちなみにこの本はNDLで近代文語文に直したものを上下巻共に読むことができます(『日本古典全集 雲根志 上卷』)
     この本の中で取り上げたような、不思議な見た目をした石のことを、石亭など当時の人々は「奇石」と呼び、これがこの博物館の名の元になったそう。
     『雲根志』で成功をおさめた石亭は、以降も『曲玉問答』や『百石図巻』などの続々と本を刊行し、それは写本の力も加わり、江戸時代の知識人層に鉱物を収集する趣味を広げていきました。

     しかし、こうした石亭らの書いた鉱物に関する知識は、近代、つまりは明治期に入って西洋の鉱物学が輸入されると、否定されるようになってしまいます。


     あッ‼️和田長官⁉️😄(八幡製鐵所オタクも総立ち)
     さもありなん、近代西洋における博物学の基本には「分類」がありますが、『雲根志』ではそうした分類分けは殆どなされていません。加えて、出産地に関する記述はあれど、その石がどのように形成されたのかに関する記述も乏しく、民話などの関連に重きを置いた文章は、西洋的学問で育った人々には物足りないものでしょう。それに、石亭はよく分からない石に「ナンダモンダ」とか名付けちゃうフリーダムぶりだし……。
     こうして、西洋で鉱物学を学んだ和田維四郎や、その弟子神保小虎などによって、『雲根志』は批判されてしまいました。

     明治大正という激動の時代の中に忘れ去られてしまった石亭と『雲根志』……彼らは、どうなってしまうの!?
     そんな状況に光を差したのが、アマチュアの鉱物学者、益富壽之助でした。
     彼は薬学の専門学校を卒業して薬局を経営しながら、同時に標本館を構え、アマチュアの鉱物愛好家、つまりは市民へ向けて鉱物の収集や研究の戸口を開いた人物。漢方に用いられる鉱物の効能を研究しながら、1932年にアマチュア、プロを問わず鉱物を研究する愛好家を募った「日本鉱物趣味の会」を立ち上げ、学生から老人まで、門戸を叩く人間には積極的に指導、あるいはフェールドワークに同行させ、アカデミズムだけでない、市民による鉱物研究の運動を広めていきます。まさしく、現代の博物館が市民への教育を軸に据え、週末など家族連れや仕事を引退したご年配の参加者と採集調査を行っているようなことを、彼は先駆けて行っていたわけですね。

     そうした彼にとっては、鉱物は単なる「学問」としてだけではなく、「趣味」としての価値も非常に大きかったのです。そして、「趣味」として鉱物を楽しむのであれば、民話との関連やその見た目の美しさなど、様々な観点で鉱物を描き出す『雲根志』は、まさしく鉱物を楽しむ人にとっては鑑のような本!それゆえに益富壽之助は当時批判的に見られていた『雲根志』を再評価し、自らも石亭に習って、その産地や特質だけでなく、見た目や民話との関連をも記した『昭和雲根志』を記しました。

     そして、この益富壽之助こそは、この奇石博物館の創設者の一人でもあり、もう一人の創設者、植本十一と彼の出会いが、この奇石博物館を設立する機運を作り出したのです。


     すべての始まりは、社会教育家であった植本十一がこの鉄質団塊(鉄を含んだ結晶が特定の形にまとまって形成されたもの、丸型に産出されるのはかなり稀)を岐阜県白山の山中で発見したこと。彼は鉱物について詳しくなかったものの、この石の魅力に惹かれ、鑑定を頼んだ先が益富壽之助でした。そして益富は、こうした珍しい石が『雲根志』に記されていることを教えました。本を通じ、自然の作り出す不思議な芸術の素晴らしさを知った植本は、これをより多くの市民にも広めるべく、博物館を設立した……というのが、この博物館の背景までの壮大な道筋だったのです。
     
     最初に書いた、家族向けの「知識がなくても楽しめる展示」というのも、全ては石亭の『雲根志』における姿勢から繋がっていたものだったわけ。おお!これぞ歴史のカタルシス!凄いぜ! 歴史!!

     

    八幡オタクとして……🥺

     そういえば!?
     先程の文中で和田長官の話を出しましたが……和田長官、石亭の『雲根志』を批判しつつも、実は石亭が持っていたコレクションの中でも選りすぐりの奇石群「二十一種珍蔵」の中で唯一現存している鉱物標本を入手した人物でもあります。その鉱物標本というのが「錫恡脂」こと輝安鉱。


     和田長官は製鐵所に来る前まで農商務省で各地鉱山の管轄を行っていた関係で、明治35年に製鐵所から身を退いた後、鉱山を通じて知り合った岩崎久彌や久原房之助の支援を受け、各地を回って鉱物標本や古本を収集する旅にでていました。恐らく、この輝安鉱もそうした旅の中で手に入れたものでしょう。現在、「錫恡脂」は和田長官の集めた鉱物標本のコレクションを受け継いだ三菱マテリアルが所持しているので、ここに展示されてはいませんが……。

     思うに、和田長官もかつて幼い頃は海岸で綺麗な石を拾っていた、まさに「趣味」として鉱物を眺めていた人間ですから、石亭の『雲根志』を批判すれども、彼の石を楽しむ姿勢には、どこか通ずるものがあったのかも知れません。それに、和田長官の雅号は「雲村」……。実は、古代から東アジアには「石は雲が固まってできる」という考え方があり、だからこそ石亭もその本に『”雲”根志』という名をつけたのです。その考えを念頭に置くと、和田長官の雅号も、そうした民話的な考え方から来たのかも……🤔と思ってしまいますよね。無論、これはなにか資料的な裏付けがあるわけではない、個人的な考えですが、こうした空想も、アマチュアの歴史愛好家だから許されること……かも?

     この輝安鉱、ショップに人差し指ほどの大きさの標本が販売されていたので、つい買ってしまいました。


     ちなみに輝安鉱の組成式はSb2S3、アンチモンの硫化鉱物で、毒性があります。体内に取りこむと普通に「害」があるので、触ったら手を洗おう!しかし、ショップのお姉さん、手袋無しで気軽に「触りますか?」って聞いてきて、毒性の話もされなかったんですけど、大丈夫だったのかな。

     この輝安鉱はまぁまぁお手頃な値段でしたが、ここのショップには十万円超えの鉱物標本セットや同じく十数万円の巨大なアメジスト原石など怪物級の商品がたくさんあり、見ていて面白かったです。やっぱ鉱物学って半分趣味の世界なんじゃ……うごご!

     

    おまけ

     そしてこの奇石博物館、家族向けの目玉は決して展示方法だけではありません……それがこちら!
     
     うおお!わくわく宝石探しタイム!!小学生の心を最後まで掴んで離さないなこの施設は!?
     ここ、わくわく宝石広場は、砂利が敷き詰められた水路から、ローズクォーツやタイガーアイなどの宝石を探す体験ができる場所!


     お金を払ったら、カップと道具を受け取って、約二十分間、スコップや手で砂利をより分けて宝石を探します。砂利の中には、稀にアルファベットの刻まれたサイコロも含まれていて、このサイコロを受付に持っていくと、アルファベットに応じて、大きな宝石の結晶、あるいはダイヤモンドやルビーなどを交換してもらうことができます。周りの家族連れの親も、このサイコロを見つけるために目を皿のようにして砂利を精査しております。おぉ……これが、「価値」……。中には子どもより必死な親も……。
     まぁ自分は最初からサイコロではなく、砂利の中の宝石さがしがメインに来ていたので、静かにほりほりするのみ。

     
     これはおそらくタイガーアイ。できるだけ大きめの決勝を探して頑張りました。

     
     最後は取った宝石を袋に詰めて持ち帰りましょう。ご満悦。

     

    まとめ

     というわけで奇石博物館、江戸時代から続く因縁の背景、そしてそこから受け継がれた、「まだ鉱物を全く知らない人間でも楽しめる」を軸においた展示によって、誰でも気軽に見学できる最高の博物館、皆さんも是非、お子さんなどを連れて訪れてみてください。

     なお、内容に関して何か事実と異なる箇所がある場合は、是非X(旧Twitter)@varInt0のDM、匿名希望であれば右上のWaveBoxからご指摘くださると幸です。