三井工業部の経営者リスト
朝吹英二
三井工業部部長、三井呉服店理事、鐘ヶ淵紡績専務取締役、三井合名専務理事
- 大分県中津の士族出身、幼い頃天然痘にかかり、顔に痘痕を残した。青年期、攘夷運動に関わり福沢諭吉の暗殺を計画するも失敗。しかし、福沢との交流で勉学に励み、慶應義塾に入学、福沢の姪と結婚する。
- 三菱商会に入社後、三菱幹部らと起こした商会で失敗し倒産、浪人となる。三菱での上司にして、当時日本銀行総裁であった川田小一郎の斡旋によって、三井銀行に転職、幹部として活躍した。中上川彦次郎の下で働き、三井物産との関係改善に貢献する。
- 怒りやすいが、同情的かつ愛敬のある性格で、労働者や立場の弱い人間に手厚く接し、慕われた。その性格から芸妓にモテたが、本人も茶屋通いを続けたため、妻とは別居することになる。
- 他人を悪く言うことはあまり無かったが、三菱時代の同僚荘田平五郎を嫌っていた。冷徹な合理主義者の彼とは性格が合わなかったようだ。
おすすめ資料等
市島春城「朝吹英二氏」(『春城代酔録』中央公論社、1933年)pp.295-309
評伝。著者は大隈派閥のジャーナリスト、政治家でもあり、朝吹とは生前に交流があった人物。昭和年間の本で文体が読みやすく、彼の経歴についても粗方が描かれており、非常に分かりやすい。朝吹の趣味や考え方にも触れており内容が富んでいるのも嬉しい。
まずは一見という方にオススメ。
藤原銀次郎「貿易界の恩人 朝吹英二」『事業学・人間学』pp.111-121
逸話。三井工業部の一員であり、朝吹の部下であった藤原銀次郎による、朝吹に関する回顧談。事業における朝吹の、肝の座った態度と他人に同情を寄せる姿がよく現れたエピソード。
こちらも文体が柔らかく、非常に読みやすい文章。
武藤山治「雑篇 温い同情」(『武藤山治全集 増補』新樹社、1966年)pp.350-351(※NDLへの利用者登録が必要)
「故中上川氏は恰も厳父の如く、故朝吹氏は慈母のやうであった」
中上川・朝吹コンビ財界最強強火担武藤山治先生⁉️
武藤の関連記事だと大体この表現出てくる。うーん、さすが、後年に影響を与えすぎた大先生の名文だ。
武藤山治は鐘紡で直接朝吹の部下として世話になった人物。彼による朝吹の追悼記事のようなもの。非常に短いが、朝吹への敬念が強く表れている。
彼の回顧録である『私の身の上話』(※NDLへの利用者登録が必要)でも朝吹が度々登場。
小島直記『福沢山脈』(河出書房、1967年)(※リンク先はamazon)
朝吹英二を主人公に、その幼少期から晩年までを描きながら、三田系の経済人を中心に追う群像劇。人間関係の難しさ、感情を描くことを得意とする作者による、長短相持つ愛敬豊かな登場人物たちが魅力的な作品だ。
この頁に上がっている、三井工業部の面々も全員登場。三菱から三井へと移動した特徴的な経歴から、明治初期の日本経済の勃興期の華々しい面々が多数出てくるので、近代財界に興味のある人は是非ご一読。
もうこのサイトでこの本のこと書くの、三四回目だよ?サイト管理者はこの本のことが好きすぎる。自明。
藤山雷太
王子製紙専務取締役、大日本製糖会社社長、東京商工会議所会長
- 雷太は佐賀県有田郷の士族の家の四男、八幡神社の祭日にして家の前の大樹に雷が落ちた日に生まれる。豪農であった家は佐賀藩の小作農優遇政策により衰退、父親は眼病で失明し家族は苦境に立たされていた。
- 京都西本願寺の学園で学び、明治維新後に長崎師範学校を卒業して教師となり、その後慶應義塾に入学、卒業後は長崎の県会議員となり、新聞会社を経営するなど精力的に活動した。
- 三井銀行にスカウトされて上京し、芝浦製作所や王子製紙の改革に携わるも、他の経営者との軋轢から辞職。その後、経営難にあった大日本製糖会社の再建に成功し「日糖の藤山か、藤山の日糖か」と称賛された。
- 性格は剛直果断の人であり、話のうまい雄弁家。一度決断すると遠慮を知らない性格で、人と対立しやすかった。親分肌で、政財界を問わずよく人の世話をした。
おすすめ資料等
竹内尉「藤山雷太」(『現代名士新人立志伝』昇竜堂書店、1925年)
藤山雷太の生誕から商工会議所の話までを一望できる文章。
物語調の読みやすく熱い文章。色々な逸話あり、流々美麗なる称賛文に満ち、テンポもよく読み応えのある文章です。初めての方にオススメ。
白柳秀湖「第十一篇 五、資本は三井、経営は渋澤氏及び其一派」〜「第十一篇 七、黒煙とこしえに靡く飛鳥山渋澤邸」(『財界太平記』日本評論社、1929年)pp.347~357
今で言う経済小説のような本。中上川の主導による藤山の王子製紙の乗っ取りについて詳細に描いている。藤山や王子製紙の背景にも触れており、物語調で前提知識がなくても読みやすい、まさに初心者にオススメの内容。人間関係に触れているのも、ありがたいね。
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この著者の先生、実は三井財閥史に大きな影響を与えた人物でもあります。
そう、白柳秀湖先生は「工業路線をとって三井のみならず日本の工業改革を推し進めた」中上川を肯定、「それを妨害して商業主義に舵をとった」益田孝を批判するという対立構図を、おそらく初めて、そして常に強調して描き続けた方なんです。この考え方は後世の歴史学者や経済小説家に受け継がれ、長らく語り続けられています。中上川のことが大好きすぎた先生って訳❗😉(ちなみに、『中上川彦次郎伝』(岩波書店、1940年)も彼が手掛けたもの)
でもそれが史実かどうかは、十分に気をつけよう!「三井文庫の資料には全て目を通した」と謳われる鈴木邦夫先生は、工業方針に反対していたのは井上馨であり、益田自身の思想は工業主義側の立ち位置にいたのではないかと指摘しています。(白柳先生の工業主義中上川vs商業主義益田の構図に疑義を呈する論文)
池田成彬述、柳沢健編「藤山雷太論」(『故人今人』世界の日本社、1949年)(※NDLへの利用者登録が必要)
藤山雷太と同じく、中上川のスカウトによって三井銀行に入行し、さらに中上川を通じて親戚関係となった池田成彬による藤山雷太論。
彼の財界における略歴やその背景が記されている。だが、必見するべきは政治的方面における藤山論である。藤山と商工会議所、そして工業倶楽部との関係に関する見方は、両者の人物に親しく接した池田ならではの視点だ。加えて、藤山の政治家としての手腕を高く評価しているのも興味深い。
和田豊治
鐘淵紡績東京本店支配人、富士紡績専務取締役→富士瓦斯紡績社長、日本工業倶楽部設立者
- 和田は大分県中津出身。医者であった父親が早くに亡くなり、母親に育てられた。将来を嘱望され、貢進生として慶應義塾に進学し、卒業後は米国留学を経て中上川のスカウトにより三井銀行に入行。後に鐘紡に移り、経営に携わる。
- 鐘紡での武藤山治と仲違いし退社、富士紡績に移籍した。三菱銀行の支援を得て、経営再建に成功し、以降政財界の仲介者として活動する。
- 和田は温厚で親分肌な性格であり、母親を尊敬し、常に孝行を心がけた。家族を大切にし、子どもはいなかったが、妻と終生共に過ごした。苦学生を支援し、養子に迎えることもあった。
- 工業倶楽部では郷誠之介の女房役として、指導的立場に立って活躍。東京商工会議所の藤山雷太とはライバル関係にあった。(しかし、藤山の回顧では仲が悪かったわけではないようにも思える)また、世間からは、慶應義塾時代からの友人、武藤山治と終生のライバルのように捉えられていたが、和田本人は武藤のことを攻撃するようなことは一切しなかった。
おすすめ資料等
森村市左衛門「第九 現代実業界の宝、和田豊治君」(『奮闘主義』実業之日本社、1916年)pp.275-284
和田を富士紡にスカウトした先輩、森村による評伝。
森村は元々、富士紡の重役であったため、内容は富士紡経営における和田の姿勢が中心。特に、富士紡再建においては、和田自ら工場近くに転居し、日夜職工らと奮闘し続けたその仕事ぶりを鮮やかに描き、その熱心な姿勢を称賛している。
東京朝日新聞経済部編「(五) 情で往く和田豊治君」(『経営百態』日本評論社、1926年)pp227-229
財界における和田の立ち位置、つまりは彼の政治的な姿勢、戦略を描いた記事。工業倶楽部を中心とする人間模様、和田とその他の財界人との関係も説明されているのも嬉しい。
工業倶楽部、若殿育ち意地張り大将の郷誠之助と苦労人にして海千山千な女房役の和田豊治という、まさしく財界の伏魔殿らしい名コンビ!
大輪董郎「和田豊治」「武藤山治」(『財界の巨人』昭文堂、1911年)pp.225-258
福沢桃介「武藤は嫌いでも株は持つ」(『予の致富術』東亜堂書房、1917年)pp.72-73
世界公論社編「鐘淵紡績会社専務 武藤山治君 富士瓦斯紡績会社社長 和田豊治君」(『進境の人物』世界公論社、1917年)pp.8-19
朝日新聞経済記者共編「アメリカの皿洗から、事毎に武藤と糞意地を張合ふ 富士瓦斯紡績社長 和田豐治」(『財界楽屋新人と旧人』日本評論社、1923年)pp.43-48
野沢嘉哉「紡績界の兩雄 武藤山治と和田豐治」(『大成功者出世の緒口』晟高社、1930年)pp459-471
Q.何ですか?これは?
A.何って……「東の和田、西の武藤」の両雄を比較して論じる評伝の数々だが❓🥺
冗談はさておき、和田と武藤が如何に比較されがちなのか、よくお分かり頂けるのではないか。これでも、NDLログイン要らずで見れる本から持ってきた、たった一部に過ぎない!
やはり、同じ釜の飯を食った、性格正反対な兄弟分の同輩が、留学の後に再開するも、職場の同僚として対立し、以降袂を分かって終生のライバルとなる……こうした物語性が人を引き付けて止まないのだろう。
──って、話をしていたら、貴方はまさか!?
「綿業界の群像 和田豊和君の学生時代と其の成功せる要素に就て」(『武藤山治全集 第一巻』新樹社、1963年)pp.717-720(※NDLへの利用者登録が必要)
「和田君と私とは慶應義塾時代から長い長い親友の間柄でありました」
武藤先生⁉️😭財界一の和田嫌いじゃなかったんですか❓う、嘘でしょ……😢(感涙)
はい、見ての通り、和田の慶応義塾〜留学時代の同級生、同じ寄宿舎の同部屋で育った親友、鐘紡で袂を分かった永遠のライバル、武藤山治先生の『実業之世界』における和田豊和追悼記事です。
主に学生時代の和田を重点的に語っている、貴重な記事。和田の愛すべきガキ大将ともいうべき姿が表されている。
本当に……武藤の和田に対する感情、この愛憎は複雑怪奇。人間関係の難しさの妙が詰まっている。
武藤山治
鐘淵紡績社長、時事新報社社長
- 滋賀県尾張の脇田村出身。開明的な名主の家に生まれ、父親の影響で政治への興味を持つ。慶應義塾卒業後、米国留学し、中上川のスカウトで三井銀行に入行、朝吹の要請で鐘紡に移った。経営に大きな影響を与え、鐘紡の経営者として独裁体制を築く。
- 関東大震災後からは政治運動を行うようになり、実業同志会を設立して衆議院議員に当選。十数年で政治運動に切りを付け、時事新聞の経営再建と市民の政治教育に取り組む。しかし、ある暴露記事で「帝人事件」を引き起こした1年後、暗殺される。
- キリスト教の博愛精神を標榜し、職工に対して温情主義を主張。先進的な設備を整えて評価されたが、賃金格差や商品券制度において「職工の囲い込み」であるとの批判も受けた。
- 性格は直情的で勤勉、家族を深く愛し、宴会接待を嫌って夜は家族と食卓を囲むことを好んだ。絵画や骨董品の収集が趣味で、池田成彬などと骨董談義を楽しむ。幼少期から動植物や風景の絵を描き、個展を開いたこともあった。
おすすめ資料等
榎本法令館編輯部「煙草職工から紡績王となりし 武藤山治氏」(『彼は如何にして今日の地位を得たか』榎本書店、1928年)
武藤の学生時代から鐘紡再建までのことがユーモアたっぷりに描かれた文章。武藤と和田の関係についても触れている。武藤の性格を表す様々な逸話が含まれており、武藤を知らない人にもオススメしたい。
ただし、その逸話に関しては一部眉唾話も含まれているように思われる。53Pにおける「小遣いが無ければ武藤の処へ行け」という下りは、武藤自身の回顧における和田の逸話(前述、和田追悼文の記事における、和田は学生時代から世話好きでよく人のために金を工面してやった話)から、話の元ネタは武藤ではなくて和田ではないか。
石山賢吉「武藤山治氏のこと」(『先人に学ぶ』千倉書房、1938年)
時事新報で武藤の部下として働いた人物による回顧。
経営に対する武藤の振る舞いぶりが如実に表された一文。衝動的とも思えるような指示で周囲を困惑させるも、後々にそれが成功し、組織的な指示であったように思えたのだという彼の回顧には、武藤の経営観が、緻密に計算された上でのものというよりも、天才的なひらめきに近いものであったことが伺われる。
また、その正確で淡白にして、熱烈な働きぶりも必見だ。
井上準之助述「井上藏相と武藤山治氏との一騎打論戰」(『清渓叢話 第1輯』清渓叢話刊行会、1930年)
政治家としての武藤を伺うことができる記事。元は時事新報社の記事か。
井上準之助と言えば、金解禁と血盟団事件で教科書にも名を残した政治史における英雄の一人。そして彼、井上と武藤は政府の経済政策を巡り議会で論戦した仇敵だと世間から目されていたのだ。
しかし、この記事の中での武藤と井上は時折ユーモアをまじえつつ経済政策を巡って真摯に対話しており、一口に犬猿の仲と言えるような単純な関係ではなかったことが分かる。
入交好脩『武藤山治』(吉川弘文館、1964年)
歴史学者による評伝シリーズ、人物叢書のうちの一冊。噛み砕かれた表現と非常に分かりやすい内容であり、中高生でも大部分を理解できる。武藤の温情主義のあり方に関して重点的に扱っており、賛否両論を批判的に取り上げている部分は大変勉強になる。
当時の社会状況なども並行して描かれるので、前提知識が無くてもついていきやすいのがポイント。まずは一冊、オススメです。
沢野広史『恐慌を生き抜いた男─評伝・武藤山治』(新潮社、1998年)(※リンク先はamazon)
武藤山治の多面的な人物像を描く作品。
博愛を標榜しながらもその反面部下から畏れられる姿、自分の正義が普遍的であると信じ続けて盲信するも、遂に夢破れて新聞界に立ち去る姿……。光強ければまた影も色濃き、複雑な武藤山治という人物像を、多彩な観点から描こうとする。
人物叢書や中公新書のように、歴史学者によって書かれた作品ではなく、アカデミズムに無関係ながらも、武藤と言う人物そのものに興味を持った作者が、十年を超える長い年月をかけて作り上げたもの。作中に溢れる武藤への肯定と否定の織り混じった作者の批判的な姿勢には、作者自身の武藤に対する強い熱情を感じずにはいられない。
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また、本書が数多くある武藤の評伝と色を異とする最大の特徴は、武藤暗殺事件に対する姿勢である。武藤の暗殺は帝人事件の報復であるとの陰謀説は今でも根強い。だが、この作品の中では帝人事件においても批判的な姿勢を貫き、陰謀説にも冷めた目線を投げかけている。加えて、暗殺した男自身の経歴に着目し、その内面に迫ろうとする同情的な目線は、非常に考えさせられるものがある。
おっと、あまりに好きすぎて、つい長話を……🥺あ、この本、益田と井上馨の描写が本当に、かなり”悪”役なので、気をつけて下さい。こ、こんな悪辣に書くことある?って思ってしまうくらい清々しい悪役っぷりです。
藤原銀次郎
王子製紙会長、商工大臣、軍需大臣
- 長野県安茂里村の大庄屋の元に生まれる。父親から医者になれと言われてドイツ教会学校に入るべく上京したが、同村出身の先輩、鈴木梅四郎(後の三井銀行、王子製紙幹部)らのすすめで慶應義塾に入塾する。
- 慶応義塾の卒業後、鳥取の新聞、松枝日報の記者になって経営に携わる。4年後に中上川のスカウトで三井銀行に入行。岩下清周らと交代して三井物産に入り、地方支店をめぐることになる。
- 三井銀行が王子製紙の株を掌握した後に王子製紙に入社、大川平三郎派のストライキを融和策でもって対応し、以降王子製紙を拠点に経営手腕を振るう。しかし、晩年は側近の高嶋菊次郎にその実権を譲っていた。昭和期には商工大臣などを務める。
- 話し好きな聞き上手で、新聞記者には非常に受けが良く、昭和前期の財界においては池田成彬に次ぐ一大恒星となる。粘り強い性格で、簡単には引き下がらない策士。しかし彼も会社のためには人に遠慮しない性格で、恨まれることも少なくなかった。
おすすめ資料等
天草平八郎「日本の製紙王原藤原銀次郎」(『現代六人男』森田書房、1936年)
慶応時代から三井物産における活躍まで、藤原の半生を描く簡略的な伝記。彼の新聞記者時代のことまで乗っていますよ。三井物産時代の話に関しては後述の池田の回想も参考されたし。ジャーナリストによる人物評伝特有の熱っちぃ文章だぁ🔥
石山賢吉「交詢社二段」(『財界人を語る』ダイヤモンド社出版部、1931年)
藤原をイジる文章では必ずと言ってもいいほど持ち出される、彼の将棋二段の背景を語る文章。当時の財界人の囲碁好きっぷりや、交詢社を通じた友人関係が伺われる。
……と思ったら急に藤原の宴会論が始まったり、その宴会のワインから北海道開発論に話が飛んだり、藤原の人間味もなんとなく感じられるような文章であり、よければ是非ご一読。
池田成彬述、柳沢健編「藤原銀次郎論」(『故人今人』世界の日本社、1949年)(※NDLへの利用者登録が必要)
藤山雷太に引き続き、またまた池田成彬の回顧録です。
中上川にスカウトされた三井銀行の同期にして、王子製紙に行った後も銀行家として彼に関係し続けた人物。辛口な批評で藤原を論ずる。
藤原の粘り強い性格を褒め称えつつも、忠告を聞かない性格を批判する部分も。また、銀行家であった池田による王子製紙の経営への指摘は、藤原自身の王子製紙経営の回顧と比べると非常に楽しい所があるだろう。つまり……(いや、続きは君の目で確かめよう❗)