短編集(近代財界擬人化)

マージナルから踏み出す時

 明治31年2月の三井物産と東京海上保険……と思っていたら、話が膨らみに膨らんで、平生釟三郎と横浜正金銀行もメインになった。話の中でのみ、各務鎌吉と第一銀行も出る。
 なお、本編内の新聞における東京海上の報道に関しては、自分が実際に当時の新聞を読んで書いているわけではなく、全て憶測で書いたものです。
 


「肉が食いてぇなぁ……」
 新品の小さな白熱電球のランプが照らす静謐な室内で、パンをむしる音がかすかに聞こえた。
 向かい側に座る少年がわずかに顔を上げた。食器を置く音がよく通る声で響く。
「腹いっぱい食いてぇよ……」
 その視線はどことも知れず、ため息混じりにつぶやく青年を、少年は訝しむような顔で見つめた。

 明治31年の冬、今日もロンドンは雲の大群が天蓋を独占している。夜空の星々の光は僅かで、ただ白い街灯が煌々と街路に浮かぶのみだ。
 三井物産ロンドン支店は、近代国家の中でも後進国にあたる日本の起業がもつ数少ない海外支店にして、数ある物産支店の中でも東の上海支店に対する、西の花形だ。もっとも、それは好成績であるからという意味ではないが……重要な支店であることに変わりはない。ロンドン支店は物産における西欧との玄関口であり、幾度も損失を上げてはいるものの、やはり重要な使命を持った欠け難い存在なのだ。明治14年、大蔵大臣に就任した松方正義の紙幣整理と緊縮財政によって引き起こされた大規模なデフレ終了のした明治19年から、明治20年代初頭にかけて起きた企業ブームの中で産まれた数多くの紡績工場のために、物産ロンドン支店は西欧から大量の紡機を買い付け、その手数料は莫大な利益を生んだ。
 今やロンドン支店は、日清戦争以降に加速する日本の産業革命のための大きな役割を持った拠点だった。

 その物産支店の傍の下宿で、2人の人影が食事をとっている。
 1人は顔や手にいくつかの創痕を持つ精悍な青年であり、1人は未だあどけない面影を残す端正な少年であった。
 2人の目の前には白磁の器が並ぶ。天井に吊るされたライトが瞬いた。
 青年は口に含んでいたパンを飲み込むと、目の前の少年の訝しそうな顔を睨んだ。
「なんだよその顔!お前逆に……こんな貧相な飯でよく満足できるのか!?」
 少年は上目遣いで肩をすくめる。また、面倒な不平を言っている……ため息をついて、青年を見返した。
「貧相って……囚人でもないのに自分の食事に不平を言うことほど惨めなことはないよ、物産!」
 強い口調でそう言い切ると、少年は自分のスープをすすった。物産と呼ばれた青年は、首を捻って舌打ちする。
「いーや違うぜ東京海上!朝から夜の9時まで散々働いて、それで待ってるのは変わり映えのない飯だ……十分囚人じみてるだろうが!」
 物産は肩を怒らせて少年──東京海上に詰め寄った。しかし、東京海上は納得しない。
「君は……君が選んだ下宿の女中さんに夕食を作ってもらっておいて、今更貧相だなんて」
 呆れたように首をふると、スープの具材をすくって口に運んだ。

 物産と東京海上は、ロンドンで同じビルに同居する幼なじみだった。
 東京海上は第一銀行を中心にして作られた海上保険会社だ。その生まれは実に複雑である。
 第一銀行の師父である渋沢栄一は、明治6年頃から鉄道会社を作る、正確には東京-横浜間の鉄道の払い下げを願い出るために華族から資本を集めて準備していた。しかし、明治9年の金禄公債交付や華族による第十五国立銀行の設立によって資金集めが破綻してしまったのだ。見かねた政府は渋沢に、これまで集めた資金を使って、欧米式の新会社を作るように勧めた。近代化を進めるにあたって、欧米にあって日本に無い会社はあまりにも多い。何か新しい会社を作る方が、経済に疎い華族らに金を返すよりもずっと有意義だろうという訳だった。
 そして、渋沢が選んだのが海上保険会社だった。明治10年から海上保険会社の設立準備に取り掛かると、彼は政府に保険業の開業免許を申し出て、まずは第一銀行の内部に保険を取り扱う部署が設置された。これがいわば東京海上の前身とも言える存在だ。
 当時、明治9年頃は三井物産が政府の勧めによって海外支店を持ったばかりの頃であった。それ以前は、欧米のものは欧米人が、漢地のものは漢地の貿易商が輸出入を行うのが一般であり、日本人の商人は港でその貿易商らから受けっとったものを日本国内で流通させ、あるいは逆に生産地や港で彼らの買い付けを受けるというのが一般だった。(注釈……もっとも、外国人商人が生産地で買い付けるというのは、本来、違法行為である。清における外国資本の猛威を見て、外国資本の侵入を恐れた日本政府は、できるだけ外国人商人を締め出す政策をとっていた。当時外国人は横浜や長崎など外国人居住区以外の場所で商売を行うことは固く禁じられていたが、日本人の妻の名義を使ったり、あるいは旅行という名目を使ったりして、陶器や織物の生産地に赴き、買い付けを行っていた外国人貿易商は少なくなかった)
 その間も、三菱商会など少数の日本人貿易商が上海で石炭や銅貨の売買を行っていたが、海外の商会では無く、日本の会社自身が貿易を行うのが活発になり始めたのが、ちょうどその時期だったのだ。そして、海上貿易は陸路よりも多くの危険がつきものである。座礁、遭難、荷物がダメになる機会は幾らでも横たわっている。その損失を補うために存在するのが、海上保険なのだ。資本金を補うために、政治的に対立していた三菱から金を引き出したりなど、様々な紆余曲折はあったが、明治10年の構想から2年間の助走を経て、なんとか設立にまでこぎつけることができた。
 
 そして明治12年、第一銀行から独立し、晴れて設立された東京海上は、三井物産と行動することが多かった。
 元々物産のような貿易会社の保険を担うために生まれたのだし、父の第一銀行の渋沢と、三井物産の“親父”である益田孝は長年の盟友であったから、一緒にいるのも自然であった。それになんと言っても、東京海上の取締役は、その益田孝の弟、益田克徳なのだ。物産の前身、三井国産方は明治6年生まれで、年は近かったたし、彼の外向的な性格も相まって仲良くなるのは早かった。シャイで大人しい東京海上に対して、兄貴風をふかして引っ張っていく物産というのが2人の関係である。
 東京海上は当初、物産と同じく東京の日本橋に本社を持っていたのだが、イギリスに支店を出すにあたって、その総代理店に先年からロンドン支店を持っていた三井物産を指定していたので、物産の事務所の内部には東京海上の仮作りの小さな支店が設けられていた。とはいえ、その支店には日本人社員が置かれていたわけでは無い。つい数年前まで、ロンドンの支店にいたのは、東京海上がイギリスの商会から引き抜いてきた英国人の保険員、ブレンであった。しかし、彼の働きに色々問題があった結果、会社を傾ける大赤字を生み出し、東京海上はひどい経営難に陥った。
 そして、その赤字の原因調査のために日本から社員が派遣されてきた際、東京海上自身も海外留学とばかり、イギリスへやって来たのだった。英国は世界一番の貿易大国であり、海上保険の本場である。日本にいるよりも勉強できるだろう──東京海上の取締役の面々には留学経験を持つ者もいたため、東京海上にも強く留学を勧めた。
 物産も益田や当時のロンドン支店長、岩原謙三から、東京海上のことについて色々と訓戒されていたので、東京海上の面倒をよく見て、同じ下宿で暮らしている。未だ経営難から全く脱せていない東京海上であったが、欲に淡白な性格と日清以降経営概ね好調の物産との共同生活によって、本人としては実に不足のない生活をしていた。

 そういう訳で、物産と東京海上は今日もいつもと同じ食卓で夕食をとっている。
 パン、バター、チーズのかけらが数枚、野菜と味付け程度にソーセージの切身が入った塩味のスープ、卵と野菜のプティング──白磁の皿に盛られた夕食は、昨日の献立と殆ど一緒である。というか、ここ一週間、変わったものといえば、スープ入る菜葉の種類、そしてプティングに肉が入っているか、いないかくらいのものであった。
「はぁーッお前さぁ……」
 物産は呆れたような口調で頭を抱えた。そんな年上を横目に、東京海上はすました顔でスプーンを置く。
「これが英国の一汁一菜だよ。十分じゃないか。昔の修行僧は、肉を使わない精進料理で日々の苦行に耐えてみせた。でも僕らは冬空の下で肉を食って生きていける……文明の発展は幸福だね」
 砂糖とミルクを入れた紅茶をすすってカップに置くと、物産がつまらなそうにこちらを見ている……。
「東京海上、あのなぁ、俺は別に現代の修行僧になんてなりたくねぇの。酒池肉林なんて大好きだぜ。地獄に落ちてもいいから、この飢えを満たしたいんだよ!」
 あまりにもすがすがしい物言いに今度は東京海上が頭を抱えた。物産は言葉を続ける。
「俺がこの世で一番嫌いな熟語は”我慢”なんだよッ!あぁー、空からボンレスハムが降ってきたら良いのに!」
「君はね……その塊が当たって頭を打ったらどうするんだい。それに、それって言いかえれば動物の死体が降ってくるってことだよ。ちょっと恐ろしくないかな」
「動物の死体だろうが、札束だろうが何でも良いぜ。とにかくタダで飯が食えれば、最高だろ?」
 あっけらかんとした答えだ。東京海上は眉根を寄せて首を降る。
「良くないよ……労働あって、人は初めて食事が美味しく感じるのだと考えるべきだ。いつだって、労働は食事に釣り合って”いる”んだ。日々の食事に不満を感じ始めたら、それは人が不幸になる合図だよ」
 一丁前に人生論を語る年下に、物産は口を尖らせた。顔をそらし、フン、と鼻を鳴らすと、テーブルに身を乗り出して東京海上に詰め寄る。
「じゃあ、お前はこんな少ない飯で、腹が減らないのかよ」
「腹は減るよ。でも人間、腹が減って初めて食事をする気になるんだから。当然の摂理さ」
「……」
 紅茶をすすりながら冷ややかに答える東京海上を、物産はしばし訝しむような顔で見ていたが、やがて身を起こすと今度はニヤリと笑って話始めた。
「そりゃあ偉い考えだ!相変わらずお前は禁欲的で素晴らしいね!でも俺はそうじゃないぜ。欲があって初めて人は精力的に働けるんだ!」
 啖呵を切って机を叩くと、カップとソーサーが音を立てて身をすくめる。
「えぇ?そうだよ欲望だ!東京海上、お前はまだ初心で、欲望が足りないから、そんなので満足しちまってるんだ!早く女を抱け!酒を飲め!そうすれば俺の苦しみも理解できる……」
 胸に手を当てて大仰に語り出す物産を前に、東京海上は呆れたような、ウンザリした眼差しで物産を睨んだ。
 
 物産は、非常に仕事に精力的な男であったが、同時に人一倍色好みで、酒好きで、そして大食漢であった。彼の親父の益田も、あるいは側近の馬越良平や祖父ともいえる井上馨も、皆女遊びと酒を好む精力絶倫の男だ。それは遺伝的なものだともいえる。
 いや、今世の商人としてはそれが合っているなのかもしれない。商談や接待では若い女中を横目に酒を飲み、お互い開襟して語り合ってつながりをつくるものだというのが、近世から続く世の習わしなのだ。むしろ酒に弱く、色事に興味なく、ひたすら読書に耽溺する東京海上こそが、当時の経済界にとっては異質であった。東京海上にとっては、人生の幸福たりえる欲望は知識欲にあり、商売のための真面目な会話に必要なものは実績に基づくデータであって、人間同士の関係性などどうでもいいとさえ思っていた。そういう、潔癖で過分に合理的な性格は、間違いなく、理想家な親の第一銀行譲りであった。
 
「進んで渇望の苦しみを得ようとするほど、私は馬鹿じゃないし、君のそういう無遠慮な所は、本当に早く治すべきだ」
「なんだよ?照れちゃって……お前のとこの営業だって、東京にいた時はたらふく饗応やってただろ?それとも……ガキ扱いされて連れてってもらえなかったかぁ?」
 これには思わず、高潔な年下の顔が赤くなって歪む。何かを口をわななかせたが、咄嗟に言葉が出てこない。
 物産の言う通り、東京海上自身もまた、保険を取り付けるために多少の宴会営業をやってきた身なのだ。しかし、宴会は会社の外でやるものだし、概ね深夜にまで続くものだから、未だ子どもの姿の東京海上が同行したことはほとんど無い。……そして、この未だ自分が子どもの姿のままで、成長していないという問題は、東京海上にとって、大きなコンプレックスとなっていた。出会った頃は自分と同じく少年のようだった物産も、日清の前後で大きく成長して、すでに立派な青年になったのに……自分だってすでに生まれてから20年近く立っているのに、まだ大きくなれない!
 物産はニヤニヤと腕組みをして狼狽する東京海上を見た。
「駄目だなぁ……周りの奴らがいつまでも子供扱いするから、お前は大人になれねぇんだ!今度俺が連れてってやるから──」
「君っていう男はッ!」
 物産の言葉を遮るように、突如、東京海上が憤って席を立ち上がった。赤くなった顔で物産に詰め寄る。
「私は、君の悩みのために、誠実に答えているのに!君はそれを茶化して、私のことをからかうだなんて!友人としてあまりにひどいじゃないか!」
 涙目の後輩に睨まれて、う、と物産の口からうめき声が漏れた。これには言葉に詰まってしまう。
「お前ッ……ず、ずるい言い方しやがって……」
「ずるい?どこが?私が何か、君に誤ったことを言ったのか!」
「だ、か、ら!そういう生真面目な言い分が!ずるいってんだ!あーッマジでお前は第一のガキだよなッ!」
 物産が苦しそうに叫ぶと、東京海上は鼻をすすって座り込んだ。
 まだなにか言いたげに物産を睨んだが、テーブルクロスを引っ張って涙を拭くと、すぐに残っていたスープの残滓を喉に詰め込んだ。
「……」
 そして、気まずそうに押し黙る物産を前に、東京海上はテキパキと机の上の空になった食器を重ねて、部屋を飛び出ていってしまった。
 取り残された物産はため息をついて、椅子に沈む。東京海上は……少し、神経質なところがあるとはいえ、見えている地雷を煽ったのは事実であり、自分に落ち度があるのもまた、事実だ。
 追いかけて多少謝ってやるべきかな、と思いかけて身体を起こしてテーブルを見ると、すでに物産の分の食器は片付けられていた。どうやら、東京海上は自分の分の食器まで持っていってくれたらしい。かぁーッと物産は再び椅子に沈んだ。本当に、ずるい……。
 どうしたものか。頭を掻いて起き上がると、手持ち無沙汰に、部屋の隅の桶とタオルをとって階下に降りていった。

 台所にいた女中に重ねた食器を手渡し、郵便受けを確認してきた東京海上が部屋に戻ると、物産が白い湯気のたつ桶の上でタオルを絞って待っていた。ムスッとした顔で、東京海上に濡れたタオルを差し出す。
「悪かった。確かに、お前のことをからかったのは、俺が悪かった」
 タオルを受け取って広げると、顔を押し付けてゴシゴシ吹く。温かな湯に浸されたタオルからは、ほのかに香水の匂いがする。東京海上は、顔を上げると苦笑して応えた。
「はぁ、もう、水に流すよ」
 物産と喧嘩するのはいつものことだ。お互い強情で考え方も正反対なので、もはや仕方がないものだと二人とも理解していた。一つ屋根の下に暮らしている以上、折り合いをつけなければならない。それに、お互いに相手のことが嫌いなわけでは無いし、いつも喧嘩の理由は些細なことで、ベッドについて朝起きれば忘れられるようなことなのだ。
 
 風呂替わりとばかり、濡れタオルで全身をあらかた拭いて寝巻きに着替えると、東京海上はサイドデスクから本を引っ張ってきて、ベッドに座り込んだ。
「はぁ、なんだ、また新しい本買ったのか?」
 物産が体を拭きながら本を覗き込む。
 先週まで読んでいたのは赤い背表紙の本であったが、今、彼の手にある真新しい布張りの表紙は、目の覚めるような青色であった。
「うん。各務が日本に帰る前に買ってくれたんだ」
 各務鎌吉、彼こそは、東京海上のロンドン支店調査のために派遣されてきた日本人社員であった。明治27年にロンドンに派遣されてきた各務は、ロンドン支店の詳細な報告をするために、今月日本に帰国したばかりなのだ。新しい日本人社員を残して。
「ふーん……何の本だよこれ。いきなり宇宙の話が始まったんだけど」
「地中海世界の交易の歴史だよ……今は各地の神話のところを読んでるから」
 はぁ、と物産は声を上げると、横に座って足を拭き始めた。
 
 しばらく黙って吹き上げていたが、思い出したように東京海上へ振り返る。
「あぁ、ていうか、東京海上。お前、新しい社員とは上手くいってんの?」
 その言葉に、東京海上は困惑したように顔を上げる。目線を泳がせて口を開きかけたが、物産は嘆息して立ち上がった。
「はぁ、お前の社員は各務だけじゃねぇんだからなぁ……各務以外ともちゃんと会話できるようになれよ」
 東京海上の反応を見て、何かを察した物産は優しく言い聞かせるように話す。こういうところはきちんと歳上だ。
「う、べ、別に上手く行って無いとは、一言も……」
「フン!俺に虚勢が通じると思うなっての。タダでさえお前は嘘つくのが下手くそなのに……」
 どもる東京海上を尻目に、物産は使い終わったタオルを桶で洗う。別に物産でなくとも、東京海上の動揺ぶりから見て、真実は明らかであった。
 各務に代わってやってきた新しい社員、平生釟三郎──ロンドンに飛ぶ各務に代役としてスカウトされ、東京の本店に勤務していた彼のことを、各務と共にロンドンで過ごしてきた東京海上は未だよく知らない。二ヶ月ほど、このロンドンで各務ともに三人で働いてきたが、平生と会話するのはもっぱら各務で、東京海上はほとんど各務の後ろに隠れていた。
「……でも彼はまだ入社したばっかりよく知らないし、それに」
「おいおい。そんな見え透いた逃げの言い訳なんてなぁ。“ダサい”ぜ……」
 呆れたように肩を竦めた物産は、椅子にかけてあった寝巻きに着替え始めた。
「来たばっかりなのは事実だ!まだ彼とは仲良くなれない!」
 東京海上はムキになって答える。物産は振り返って鼻で笑う。
「人と仲良くなるのに1ヶ月かけてるようじゃ駄目だね。どんな相手でも取り入るのが商売人だろ」
「それは君が貿易商だからだ。僕は保険屋で、誰よりも堅実で疑り深くないといけない……」
「そういう、お高くとまってるとこが、殿様商売ってんだ。だから安田のとこの息子に追われる羽目になるんだよ。愛敬ぐらいは身につけろっての」
 
 安田の息子、帝国海上保険は安田銀行の父親、安田善次郎が生んだ海上保険会社だ。明治26年に生まれた数少ない海上保険会社の一つで、トップの東京海上に次ぐ位置についている。帝国海上の見目は優男だが、安田銀行譲りの愛嬌と不屈ぶりを存分に発揮する油断ならない商売敵である。それまで日本でたった一社の海上保険会社として、ただ口を開けて契約を来るのを待っていただけのような東京海上と違って、帝国海上保険、そして同年代、大阪商人たちによって設立された日本海陸保険──全くもって土佐人らしい、気焔吐く豪胆児で、東京海上は彼のことがちょっと苦手だ──は四方に広告を打ち、積極的に自身のことをアピールする、社交的な性格をしていた。
 東京海上も、彼らを見る度に、自身の人見知りぶりを痛感させられる。
 
「愛敬なんてなくたって……成績さえあればいいんだ……君のお兄さんだって……」
 東京海上が苦し紛れにつぶやくと、物産が舌打ちする。
「アレは特殊すぎるんだよ!お前、この世で一番参考にしちゃいけねぇ男を持ち出すな……」
 物産の兄の三井銀行は、東京海上の言う通り、全く愛敬の無い男なのだ。内向的ということでは無く、むしろ話好きで社交的な方であったが、とにかく高慢で鼻につく話しぶりは、物産にとって大の苦手であった。
 
 その三井銀行の高慢ぶりも、ある意味では東京海上の高潔さと似たような意味合いを持っていた。出資金こそ華族資本の集大成たる十五銀行に劣るものの、預金額では圧倒的な一位を占めている。幕末の動乱を生き残り、政府から多くの保護政策を引き出した三井組は、内部の経営においては危機的な位置に立っていたが、その事業規模は絶大で一般民衆の預金などまったく目もくれないのだ。いまや株式会社となった第一国立銀行や安田・第三国立銀行が後進育成のために他の銀行の面倒を見ることが多かったのに対して、三井銀行は全く興味を示さなかった。もっとも、それは三井銀行自身が三井組の負債におわれて到底他人に構う暇など無かった面もあったが、そうした他の会社から一線を引く態度は、彼の高慢ぶりと相まって、全く愛敬の無い男にする要因であった。
 つまりは「箱入りのお坊ちゃん」なのだ。生まれた時から商売相手に困らない、それどころか一位を約束されて生まれてきた男たちだ。
 貿易商として、国外で戦う必要のあった物産は、生まれた時から三菱商会のみならずロンドンや漢地の商会などと競い泥水を被って生きてきたが、概ね商機が国内に絞られる彼ら鳴り物入りのお坊ちゃんは「競走」に疎い……。

 物産は強い口調で、口を尖らせている東京海上に言い聞かせる。
「いいか?銀行の兄貴は国内のことしか考えてないから、あの……あんな性格になったんだ!だがお前は違う。海上保険は貿易商と隣り合わせで、つうことは他の国の海上保険会社とも戦うのは当然のことだ!」
 持っていた寝巻の上着を羽織ると、桶をタオルをまとめて持ち上げる。ドアを蹴って開くと、振り返りざまに言葉を継いだ。
「お前の敵が帝国海上や日本海陸の奴らだけだと思うなよ!このロンドンの商会の奴らだって、お前がぶっ飛ばす相手なんだってこと、よく考えとけ!」
 そう言うと、階下の流し台へと降りていった。取り残された東京海上はポツンとベッドの上で佇むのみである。
 
 東京海上は、日本では確かに一番の海上保険会社であったが、ここロンドンでは、二流も二流、ほかの海上保険から流されてきた再保険を受けるのが精一杯の貧弱ぶりであった。であるから、 物産の激励も間違っていない。日本の会社でさえ、東京海上に保険を頼むことを渋る者が多いのだから。日本財界の第一人者たる渋沢が設立に携わり、三菱の岩崎が金を出しただけあって、三井物産、日本郵船、横浜正金銀行など名だたる大貿易商らは東京海上に保険契約をしていたが、中小の生糸商や陶器商達は東京海上を信頼していなかった。しかも、前者の大貿易商たちですら、東京海上に契約をするは自己の利益というよりも、日本の同胞に対する同情心からの行動であって、心から信任して契約しているわけでは無いのだ。それは東京海上にとって大いに苦悩する所だった。
 本を閉じて、東京海上はベッドに仰向けになった。白く塗り固められた味気ない天井には、シェードに覆われた電球が浮かんでいる。
 どこかから興奮した男たちの声が聞こえてきた。隣か向かいの部屋なのか、どこかでトランプゲームでもしているのだろうか。
 
 「愛嬌……」
 ポツリと呟く言葉は響くこともなくかすかに消えゆく。
 物産の言葉は理解できる。
 新しい社員と、平生と仲良くしろというのも、実にその通りだ。
 「でも……」
 東京海上には愛嬌がわからない。分からないというよりも、とにかく、人との距離の詰め方を知らない。
 そうだ!分からないのは、愛嬌ではなく、人と仲良くなるということそのものだ。
 深呼吸をして、目を閉じる。
 
 東京海上は第一銀行の元で育ったが、それもたった2年のことであった。彼は温厚で優しかったし、今でも敬慕の念を抱く師父であったが、残念ながら、彼は東京海上の商売相手となる会社を持ってはいなかった。加えて、第一は関係会社をつなげて家族財閥を形成することには難色を示す男であった。すぐにでも、東京海上は商売相手を得るために、生きるために、第一の家からは出て行かなければならなかった。
 もっとも、第一も子どもの商売に無理解な親ではない。彼のために、三菱商会の資金を取り付け、彼の半身、三菱汽船から生まれた日本郵船が、東京海上のために多くの契約を結ぶことを期待した。しかし、日本郵船の態度は冷徹なものであった。彼はすでに、廃藩置県など維新の動乱に乗じて土佐商会を三菱商会へと変貌させた、岩崎弥太郎の時代から、すでに”自保険”という海上保険の機構を、三菱という家族財閥の内部に持っていたのだ。自保険を持つ以上、海上保険会社など必要とさえしていなかった三菱にとっては、東京海上は第一から無理強いをされて押しつけられた存在であり、金は出すが面倒はそっちが見ろと言わんばかりの態度であった。
 加えて、その第一自身も東京海上が三菱の家に行くことを好まなかった。財界における超然主義を標榜するために、自らの家族財閥を形成することを好まない彼だ。日本の海上貿易を支えるために生まれた天下の東京海上が、単純な”三菱の一員”になることは耐え難い話であり、株主総会においても依然として第一の渋沢は大きな影響力を持っていた。
 では共にいる三井物産、三井財閥三井家との関係はどうなのかというと、彼らの所有する株は三菱には到底及ばないものだ。だが、東京海上自身からすれば、彼らとの繋がりがもっとも深いような気がするのであった。つれない態度の日本郵船と異なり、三井物産は東京海上のために多くの契約を結んだ。人材的にも、東京海上の中枢には三井の関係者、あるいは彼らの紹介によってやってきた者が多かった。新しい社員の平生も、三井の益田が平生の恩師に図って勧誘してきた男なのだ。
 時折思うのだ、自分が最初から三井の会社であったらと。第一銀行に申し訳ない考えであるし、自分の設立背景から、そんなことは無理であったことは想像できる。それでも、どの家にも所属できずに、超然的に生きるということは、子供心に、心底辛かった。
 歪な構造の自分の居場所!
 自分の頼るべき相手が誰であるのか、東京海上には何も分からない。
 彼が危機に陥れば、第一の渋沢は、日本の貿易、ひいては国家の威信に関わると喧伝してでも救ってくれるであろうことは予想できる。事実、東京海上のイギリスでつくった巨額の損失が判明した時も、彼は東京海上に同情して擁護した。だが、救ってくれることと、頼ることができることは別なのだ。むしろ、彼が、師父が東京海上に超然的な独立を望むからには、頼るべきではないということは、痛く理解していた。
 そして、幼馴染の三井物産ですらも、彼が頼っていい相手では無いのだ。東京海上は、三井財閥事体の経営が苦しいことを、物産が時折もらす家の話題から暗に理解していた。それに、物産の経営はいつも乱高下するため、日清戦争での好景気が終わってから、いつまた不況で彼の経営が苦しくなるのかわからないことも、長年の付き合いで感じていたのだ。物産と親しいからこそ、東京海上は彼に迷惑をかけたくなかった。
 それぞれの会社、つまりは家々財閥と東京海上の間には常に白線が引かれているように見えた。自ら他者と距離を置かざるを得ない境遇に居た東京海上には、いざ距離の詰めようと思っても、そのやり方を知らなかった。
 彼の師父の第一は、潔癖な超然主義者ではあるが、社交的で人の世話を焼くのが好きだった。生まれたばかりの頃は、父親譲りの社交性を持っていたのかもしれないが、いつの間にかこの胸に居着いた他者への警戒心は年々大きくなっている……。

 だが、それでいいのだろうか。
 自分は、いつまで経っても、こんな姿でいいのだろうか。
 この不安を、自分の問題を放っておいたところで、なんの成果を生むのだろうか。
 
 東京海上はしばらく思案していたが、バッと身を起こすと、ベットから飛び降りて靴を履いた。
 流し場から戻ってきた物産が驚いたように声をかけた。
「なんだ?寝るんじゃないのか?忘れ物?」
「御手洗、行ってくる」
 そう言い残すと東京海上は暗い廊下に出ていった。突き当たりの窓の向こうには、雲の切間、わずかな月の破片が浮いている。
 東京海上は、突き当たりの右手、御手洗場には入らず、左の階段を静かに降りていった。
 ……自分は大人にならなくてはいけないのだ。各務と出会って、彼に憧れて、自分もこうありたいと願ったのだ。
 
 各務鎌吉が東京海上に入社したのは、明治24年、各務は明治の元年生まれだったから、24歳だった。
 当時の東京海上の社内は、非常に牧歌的な会社であった専務の益田は昼間に三時間しか働かず、しかも印鑑は部下に預けるし、部下も部下で、謡曲の師匠を社屋に読んで練習し始めるわ、土俵を作って相撲をし始めるわ……。そんな呑気で、人生で勉学のために通ったのは寺子屋だけの丁稚奉公人が多かった会社に、商業学校出身で英語の堪能、自分にも他人にも厳しい性格の各務は、まさに会社の空気を一新するようなエリートであった。それでも、東京海上が彼に対して、苦手に思わず、多くの興味を持ったのは、彼の不思議な性格ゆえだった。各務は仕事においては気難しいところがあるが、仕事が終わると途端に愛嬌が出る男で、冗談が上手い男であった。それに、仕事で他人と口論したり、間違いを指摘したりするようなことは多かったが、それを決して引きずらない、さっぱりとした男だった。皆が遊び始めると、謡曲や相撲は嫌だ、僕は囲碁が一番だと、勝手にどこからか台を持ってきてしきりに相手を誘うので、東京海上は何度も彼の相手をした。東京海上はいつも負けたが、各務は数少ない対戦相手をなんとか育てようとあれこれ手を焼いてくれたので、囲碁をするのは嫌いでなかった。
 だが東京海上が各務の真価を知ったのは、明治26年にイギリスに渡ってからだ。
 
 東京海上は明治20年代半ばまで、ずっと社業は順調に拡大している”ように見えて”いた。年々安定して高配当を続け、元々華族資本が中心だった彼の株は、世襲財産株として重宝された。紡績や鉄道の企業ブームの反動不況が落ち着き始めた明治26年に、帝国海上と日本海陸という二つの海上保険会社が生まれたのも、そうした東京海上の儲けぶりを見てきたからであった。しかし、この背景には重大な歪みが存在していたことを、未だ保険業に疎かった日本の財界人たちは気が付いていなかった。
 そもそも、保険業は収支に大きなタイムラグが発生するサービスである。保険契約という収入と、保険金支払い請求という支出……加えて、保険金の支払い請求には、海難事故の調査、損害額の確定などの作業を要するのだ。今年契約した船が支払い請求をするのは三年後、ということは多々あったし、当時保険について良く知らない商人たちは、海難事故が起きても請求をしてこないなどということもあった。だが、このタイムラグの関係に全く無頓着であった東京海上は、保険料収入の拡大にばかり着目して大喜びし、それを配当に飛ばしてしまっていたのだ。
 泣きを見るのは、実際に保険金請求が飛んでくる数年後のことである。経営陣が危機感を持ち始めたのは、イギリスの各支店──当時はロンドン支店の他、リバプール、グラスゴーに出張所があった──からの保険金請求の逆為替が止まらなくなってきてからであった。まずは重役たちがロンドンに飛んで実情を確認してみたものの、何せ保険料と保険金請求のリスクの関係を誰も気が付かずにいたほど、皆保険業に疎かったのだ。今更急に帳簿だけ見たところで原因にすぐ辿り着けるわけがない。このため、このロンドン支店の大赤字の原因究明をするために飛んできたのが、英語に堪能な会社随一のエリート、各務鎌吉だった。
 なぜ日本国内の本店、内地よりもロンドン支店、外地の方が先に悲鳴をあげ始めたのか?
 各務は調査をするうちに重大な問題に気がついた。それは、外地での契約数は内地よりも二回り小さいものの、保険金額は内地の二倍、保険手数料は内地の五倍もあったことだ。つまり、ロンドン支店は東京本店よりも非常に高い保険料率で保険契約を受けていたので、その分多額の保険金を支払う必要があったのだ。ロンドンは海上保険の生まれた聖地、当然数多の大会社が軒を連ねて海上保険業をやっているのに、東洋の新興企業がいきなりやってきて契約を結ぶようなことは滅多にない。勝負をするためには、他の海上保険会社ができないような、高い料率で、加えてリスクの高い船舶を引き受けるべきだ──というのが、イギリスの監督役を任されていた英国人保険員、ブレンの方針であった。
 だが、各務はブレンのそうした態度こそが気に食わないと感じた。戦うために高リスクを取ると言えば聞こえはいいが、それはつまり、顧客にカモにされているようなものではないか!各務は、幼い東京海上を引っ張り回して、各支店から保険契約書の資料をかき集めた。ブレンの姿勢は受け入れられないし、こんな男に契約の監督を任せ続けていた本店の経営陣も皆保険に無知だったからこんな事態になったのだ。周りが頼りにならないのであれば、僕が一人で保険業をマスターしてやる!各務は叫ぶや否や、その日から日を徹して保険業の調査研究を始めた。物産事務所に併設されたデスクには九時まで居残って資料を自分のノートに書き写し、退社して下宿に持ち帰ってはさまざまな観点からこれを計算して成績を評価した。
 
 それまで数学と英語と漢文しか勉学してこなかった東京海上も、各務を見習って、保険業を学ぶようになった。各務の書き終わったノートやメモをもらっては、それを自分でも確かめるためにノートに写して研究した。東京海上は、ただ各務の勉強の後を追うばかりであったが、それでもなんとか食いついていくのに精一杯であった。それまで、競争相手のいない平和な世界で生きてきた東京海上は、初めて、必死に何かをするということを体験したのだ。たまに仕組みがわからずに各務に恐る恐るも質問することがあった。各務はまだまだガキだねと笑いながらも、昼飯のサンドイッチを片手に真剣に自分の理解を噛み砕いて東京海上に教えた。それが終わると、物事は自分で説明して話す方が身につく……だからもっと質問しにきてよ、と各務は東京海上に優しく語りかける。東京海上は、人生で久しぶりに、人を頼る温かみというものを、思い出した気がした。
 そうやって、数ヶ月の修行を続けた各務は、ブレンのとってくる契約に対して指摘をするようになった。この契約はリスクが高すぎるのだから引き受けるべきでない、あるいはこの船舶と航路ならこの両立でも引き受ける価値がある云々と。しかし、ブレンとて保険業に二十数年携わってきた人物だ。最初の方は平然と受け答えをしていたが、やがて各務の指摘に窮することが増え、それが各務にさらなる自信を与えて、調査研究の勉学に励ました。
 やがて、保険業の勉学にひと段落をつけた各務は、東京本店に東京海上のイギリス各支店の報告と改善案を書き送った。ブレンの契約姿勢によって今や東京海上は大量の高リスクを背負う羽目になっており、その損失は未だ隠れているものだけでも今の数倍ある。ここは一度イギリスでの経営をやり直すために、リバプールやグラスゴーの出張所を畳んで、ブレンを解雇し、自分に一任してほしい……。驚愕したのは経営陣である。かつて素晴らしい好成績を上げていたイギリス各支店の実態に気がついた経営陣は各務の改革案を受け入れ、イギリスどころか、東京の本店でも経営陣や業務における整理をし始めた。

 幼い東京海上は、牧歌的であった東京本店とは全く異なる、各務の徹底した働きぶりに驚いた。それに加えて、英国人の先輩にさえも堂々と切り込み、あまつさえその解雇まで進言した各務の大胆さに尊敬せざるを得なかった。未だ入社してたった5年の彼の大立ち回りは、未だ短く狭い東京海上の世界を一新するような鮮烈さがあった。
 周りが頼りにならないのなら、自分がこの世で一番頼りになる存在になればいい!どの家にも居場所がなかった東京海上にとって、各務の超然的な、他人を当てにせず自ら克己努力する姿勢は、居場所など自ら作り上げればいいのだと教えてくれた。どうして進んで他人の庇護に入る必要などある?僕は日本どころか英国で一番保険業を知る人間になる。そうしたら日本どころか、英国の貿易商だって、目を向いて向こうから君に頭を下げに来るぜ。頼むから契約してくれってな──各務はいつも自信に満ちた口ぶりで、東京海上と、自分自身にそう言い聞かせるのだ。
 自分の居場所は自分が作る──人間関係だってそうだ!
 自分は、自分から進んで人と仲良くなれるようにならなくちゃいけない!
 
 階段を降りていくと、未だ台所には白熱電球の灯の影が見えた。今からバクバクしている鼓動をなんとか宥め、深呼吸をする。冷たい空気が胸に入ると、気分が少しばかり、スッキリするような気がした。
 人と仲良くなる方法は……今の自分には、分からない。だが、それでも当たって砕けろだ。実践しなくては始まらない、各務がやって見せてくれたように!