「さっきも言いましたが、私がカルテルや製鉄合同に乗り気でない理由は……はっきり言って鉄鋼業者はもっと競争するべきだと考えているからです」
「はぁ……言ってくれるねぇお坊ちゃん!くそったれ、お前なぁ!身内に金があるってことと、そのある金を身内が出すかってのは別問題なんだよ!」
怒る鉱山の言い分は既に八幡の熟知するところだ。八幡だってずっと議会と大蔵省に振り回されてきた。金をもってくる苦悩は誰しも並大抵ではない。
「えぇ、しかし、幸運にも、日本の鉄鋼市場には”まだ”競争する余地があります。製鉄合同を組めば、競争は強制的に終了されてしまう。カルテルを組んで作業を分担しても、市場での技術の開発、経営の合理化は間違いなく下火になる……」
そこまで言うと八幡は深呼吸して身を乗り出した。
「ね、三池さん」
突然、微笑みながら自分を覗き込んできた八幡に、鉱山は困惑で顔を歪ませる。
「僕はね……正直、嬉しかったんですよ!貴方が釜石先生を買収したと聞いた時は……」
不敵とも思える微笑みを浮かべながら、八幡は言葉を続けた。
「だって貴方が、もう一度、先生を戦わせてくれるかもしれないと思ったから!」
そこでようやく乗り出していた身を引いたが、依然として彼の言う通り、嬉しそうな顔は変わらない。
「唯一気がかりだったのが貴方に聞いた輪西との合併の話でした。正直言って、輪西と合併するのは……いえ、むしろ、僕はそうするのが当然だとも思いますが、どっちでも構いません。何より……貴方が釜石先生の経営に乗り気なのが問題なんです!」
鉱山は眉間を抑えた。そして、さきほど八幡が自分の挑発に嬉しそうに反応したことの意味をなんとなく理解した。本当に、八幡は子どもの頃から、何をかんがえているのか、掴み難い……。釜石がかつて八幡に感じていた困惑を、今度は鉱山が眼の前で体験していた。
「あぁ、はぁ……めまいがしてきた」
手を降って八幡の言葉を遮ろうとする鉱山にもお構いなしだ。
「はは……そして、私が願った通り、貴方は本当に、釜石先生のことを随分気に入っていらっしゃる!あぁ、嬉しいです。貴方が僕に燃えているのも合わせて……。ね!どうしてそんなにやるきに満ち満ちていて、僕と手を組む必要なんてあるんですか?」
「そりゃお前な……」
ため息を付きながら、苦し紛れに答えようとする鉱山に八幡は畳み掛ける。
「止めてくださいね!先生は……闘争心に満ちてないと!そして先生と組む、貴方もだ!」
楽しそうな声で、目を閉じてその拳を握りしめる。官僚的とは言え、八幡とて製鉄業の男だ。鍛え上げられた腕の筋肉が、ぶるぶると震えて軋むような音をたてる。
「先生は僕と違って、民間に生きる戦士でしょう?国に養われてのうのうと作業分担に応じるのは先生らしくない……。そして先生自身も、やる気に満ちているのなら、きっとそんなことは望まないはずだ」
そこまで言うと、興奮のあまりに上下していた八幡の胸がようやく落ちつく。鉱山は一息つくと、心底まいったような顔で八幡を見た。
「要するに……カルテルになんてかまけてないで、俺にもっと必死になれってか?お前は本当に嫌な後輩だよ……」
「そのとおりですよ。そんな甘えた考えは止めてください。もっと……住友や三菱でさえも、貴方が全員殴り倒しに行く気概でないと!」
満足気に頷く八幡の言葉に、鉱山は心底ぎょっとした顔で声を上げる。
こんなことを言うのが八幡でなければ別に驚きでもないが、あの見るからに大人しく内省的な八幡が、ここまで暴力的な言い回しをするのはあまりにも常軌を逸している。
「いや怖ぇよ!本当に筑豊みたいな事言いだしやがって!お前まさか酔ってんのか!?」
「でも、実際にそのくらいの気概でないと、経営面で貴方の前を走る住友には追いつけませんよ。そして当然、その先に居る僕にも」
突如として平素の冷淡な顔に戻って現実をつきつける八幡に、鉱山はどこか冷や汗が出てくる思いがした。人と話していてここまで不気味な感覚を覚えるのは久しぶりだ。
鉱山は舌打ちした。肩を怒らせ、睨むような目で八幡に構える。
「あぁ……残酷なやつだ!上から他者が争うのを見るのは楽しいだろうな。わかるぜ。俺も”炭鉱会社”だからよぉ……」
八幡は眉根を寄せて首を捻った。また、話をそらそうとしている……。
鉱山の言う残酷さと、八幡が釜石と戦うことを喜ぶ、ある意味残酷ともいえる一面は、話が違う。別に自分は、争い合う民間他社を利用することで、自らの既得権益を守りたいわけではない。八幡はむしろ、自ら市場の中心に出て競争したいのだ。そして商売敵たる民間業者には、官営である自身の権威を脅かすほどの成長をしてほしい!
それは、釜石や鉱山の持つ闘争心とは少し違った面持ちを持っている。
「僕は争うのが楽しいと言っているんではありません。ただ鉄鋼業界には、もっと技術的に、そして経営的にも発展できる余地があるんです。僕はそれを追求したい……そして釜石先生にも、追求してほしいんです。同じ企業として、僕は先生と、競争して研鑽したいんです」
理想の追求!八幡はやはり、心底技術者で、哲学者なのである。理論的に追求できる余地があるのであれば、そこを追い求めたいし、そしてその追求は、競争しながらの方がずっと早く進むだろう。八幡の言う通り、幸いにも、この市場には強力な財閥や資本を供給するだけの規模を持った銀行が、まだ余力を残している。民間の製鉄所にも戦う体力と、技術を開発し経営改革に当たるだけの資金は、探せばどこかに必ずあるのだ。
ようやく八幡に普段のおちついた雰囲気が戻ってきたことに安堵しつつも、鉱山は厳しい顔で八幡に向かう。
「そうかよ。お坊ちゃんは夢想家で羨ましいねぇ。だがな、お前がそんな悠長にかまえてる間にも、銑鉄市場は悲鳴を上げてんだ!」
鉱山は机を叩いて啖呵を切った。机の上のグラスとカップが、甲高い音で悲鳴を上げる。体格のいい彼が威勢よく話すのは、年を経ても気迫に満ちている。いや、年季熟してなお一層凄みを増すといったところだ。
「現実ってのは物語とは違うぜ八幡!昨日まで元気だった会社でも、平気で明日には死んでんだよ」
「……」
八幡は真剣な面持ちで鉱山の言い分を聞いている。
「俺だって釜石のために無限に金が出せるわけじゃあない。ただでさえ一番の金を握ってる合名や銀行は釜石の抱え込みに反対してんだ。あいつを庇ってる俺の経営者に何かあれば、いつまた売り飛ばされるかわからないんだぜ?」
それは本当に、貴方の言うとおりだ──八幡は目を閉じて深呼吸した。
「えぇ、だからこそ貴方は、釜石先生の経営を立て直すために必死になってもらわないと、困ります。彼らの評価を覆すくらいの活躍をしてほしいんです」
鉱山は眉根を寄せて不服そうにそっぽを向いた。言われなくても!とでも言いたげだ……。へそを曲げた年上の態度に、後輩は目を細めて苦笑した。
ため息をついた鉱山はもはや何も反論せず、八幡の目線を睨みつけてソーダ水のグラスを手に取る。
しかし、その瞬間、八幡が突如左手でそのグラスを取り上げた。呆気にとられながらも、手を伸ばそうとした鉱山の右手を、八幡の、鉱山よりも一回り小さな右手が抑えるように包み込む。
八幡はグラスを掲げ、微笑んで鉱山を見た。まるで、逃しはしないとでも言うように。
「しかし、安心してください。たとえそんなことになったとしても……えぇ!その時は、僕が養って差し上げます!貴方も、そして釜石先生も!」
グラスの揺れる水面に、天井のランプが映り込み、強烈な光を瞬かせて揺れた。巨大な恒星は、八幡の瞳にも飛び散って、彼の微笑みを一層鮮烈に映し出す。射干玉の底は未だ見えず、その柔和で自信に満ちた顔には、どこか不可解な不安を覚える……。本当に、理解し難いという不安を!
「フン……ははぁ……」
鉱山は鼻で一笑すると、肩を揺らして苦笑いした。そして八幡の右手を力強く握り返す。八幡もグラスを机において、左手を鉱山の手に重ねる。
「僕は製鉄合同に反対しています。しかし、それは”今”の話です。どちらにせよ、10年以内には、再びこの問題が起きるでしょう」
鉱山は自由の身たる右手の平を見せて肩をすくめた。
「本当に参加してくれるのかね、その時は」
「それは市場次第です。まぁ、製鉄合同の話が再燃するような状況では、到底景気や経営の具合は望み薄だと見ていますが……」
そこで区切ると、八幡は身を乗り出して鉱山の目を真っ直ぐ見据えた。
「しかし、貴方の規模を考えれば、たとえ危機に陥っても、間違いなく政府がセーフティとなるでしょう。そして本当に合同が始まったなら、どちらにせよ、合同の指導権を取るのは貴方か住友のどちらかだ」
もう一度、釘を差すように八幡が鉱山の手を取る。
「だから──絶対に!手段も資金も、抜かりなくやってください。後悔しないように。たとえ失敗しても、貴方がたには、この私と国家がいる!」
鉱山は目を細めた。自信と凄みに溢れた八幡の声、その顔は、釜石とともにいた頃の、明治期の頃の彼からは全く想像の付かない表情をしている。長い年月、政争と市場の荒波が、彼の芯を削って、一つの精神を形作っていた。
「嬉しいねぇ!おじさん、こんなプロポーズは初めてだから緊張しちゃうな……」
口角をあげた鉱山の顔は、すっかり年長者の余裕を取り戻していた。言うやいなや、自分の手を取っていた八幡の手を掴んで引き上げる。
「!」
「でもなぁ八幡!覚悟しとけけよ、もし俺がお前に養われる時は……」
鉱山の手が八幡の手をギリギリと握りしめる。八幡は一瞬顔を歪ませたが、ぐっとこらえて、鉱山のギラギラと煮えたぎる瞳を不敵に見返した。もはや自分は子どもではないのだ。ここで負けるようでは、駄目だ。地鳴りのような、地の底から響くような低い声で鉱山は唸る。
「お前も国も、骨の髄までしゃぶってやるよ。俺の執着性を舐めてもらっちゃ困る……」
そこまで言うと、パッと八幡の手を離した。鉱山は手を振って、肩を落とす。
「まぁ俺だって釜石を手放す気なんて早々ない……輪西もな!やってやるさ。住友の奴らがなんだ?アイツらだって鋼材加工ができても化学産業じゃあ三井を追い越しちゃいないんだ……俺が勝つさ。絶対に……」
怒りのような、激情に煮えたぎるような鉱山の目の光がもう一度八幡を突き刺す。しかし、すぐに首を振ってソーダ水のグラスを手にとって、一気に飲み干した。
グラスを勢いよく机に置くと、鉱山は椅子へもたれかかって首を掻いた。
「はぁッ!……で!?今日言いたかったことは、ようやくこれで終わりか?八幡君よぉ」
すっかり話は終わりといった雰囲気だ。八幡は握りしめられて未だ少し痛む手を振って、鉱山に微笑む。
「はい。お付き合いいただき、ありがとうございます」
深い溜息をついて、鉱山は椅子に沈むように手足をのばす。
八幡が時計を確認すると、未だ切符が発車時刻ではないが、思っていたよりもずっと時間が立っていた。歩いていくなら、早く店を出たほうが良いだろう。
「あぁ、残念です。もう僕は出ていかないと……でも、本当に、離してくれてありがとうございました。重ねて申し上げますが、貴方が釜石先生の経営にやる気だったのは、本当に嬉しかった……無論、輪西のこともきちんと気にかけてくださいね。中途半端では何事もうまくは行きませんから……」
子どもが老親に言い聞かせるような口ぶりだ。言い終えると、八幡はどこか遠くを見つめるような目で天井を見やった。鉱山はその様子を見て、八幡に声をかける。
「八幡……」
思わずドキリとさせられて、八幡はこの年長者の顔を見た。さきほどとは打って変わって、ずっと温かい、親しみのある声をしている……。
「会いたいと思わないのか」
「……」
誰に、と聞くのは、きっと野暮だろう。
「お前が気まずいなら、別に俺が呼んでやっても良いんだぜ」
彼とは、もう何年も合っていない。手紙のやり取りも殆どない。形式的な、ほとんど文の書かれていない、名刺のような年賀状だけが虚しく積もっていくだけだ。最後にあったのは、第一次世界大戦の……前だっただろうか?少なくともここ十年近く、東京の会議でも、自分は彼の姿を見たことはない。
八幡は目を細めて、なんとも言い難い顔をしたが、すぐに目を閉じて首を振った。
「いいえ、その必要はありません。お気遣いだけで十分です。先生には、元気だったとだけ、お伝え下さい」
「本当に、いいのかよ」
鉱山の顔が心配そうにこちらを見ている。八幡は一瞬、言葉に詰まった。こういう、親身な気遣いをされると、弱いのだ。人の情愛に弱いのは、子どもの時分から続いている……。
「えぇ!」
八幡は、自分の心の同様を奮い立たせるように、できるだけ快活に応えた。
「彼と私は商売敵ですから。貴方がいれば、会う必要はない」
天井のランプが、再び、その射干玉の瞳の中で輝いた。冷淡な瞳は、やはりその底にある感情を何一つとして映さない。
鉱山は立ち上がって店の奥に控えていた店員を呼ぶ。
「おい!勘定頼むよ……あぁ、俺じゃない、この兄ちゃんにだよ」
やってきた店員に手を振って、八幡の方を指差す。そのついでに店員へなにか耳打ちをすると、店員は驚いたような顔で、再び店の奥へ引っ込んでしまった。
不思議そうな顔をしている八幡に、鉱山が言葉をかける。
「じゃあ俺ちょっと厠行くから……出てくるまで待ってろよ。駅まで送ってやる」
八幡の顔は困惑から驚きに変わった。
「えぇッ……そんな、大丈夫ですよ!そこまでお気遣いを……」
その遠慮がちな声を無視するように、鉱山は厠があるのであろう店の奥へとズンズン進んでいく。奥のガラス戸の前まで行くと、鉱山は八幡を振り返った。
「そんな土産物の大荷物で官営様が出歩かれると、下々のものとして見苦しいんでねぇ!」
意地の悪い顔で笑うと、戸の中へ姿を消した。
相変わらず素直じゃない大人だ、八幡は微笑ましく思った。鉱山なりの好意の表し方なのだろう。商売敵であっても、鉱山も北九州の炭鉱の一人なのだ。なんだかんだ言いつつも、自分に対して一種の温情を持ってくれているのを八幡も感じていた。
あるいは、それが財閥の人間としての紳士ぶりと言うものかもしれないが。
八幡が勘定を済ませている間に、もう車がやってきたらしい。厠からでてきた鉱山が、店に伺ってきた車夫に声をかけると、二人で八幡の大荷物を抱えて街路の車へと運んでいった。八幡も釣り銭を受け取って、すぐにその後を追いかけていった。