『商売敵』(近代財界擬人化)

参考文献

参考文献の内容に関するメモ
参考文献の内容の中から、どのような点を小説の参考にしたかのメモ

  1. 「釜石鉱山を三井経営:三井三十六万株田中氏四万株」
    →三井鉱山による釜石買収の様子を報じる記事。役員の変化や買収当時の釜石の様子、世間から見る三井鉱山と釜石の関係が分かる。
  2. 「内地鉄材の惨落せし真因 : 復興用輸入鉄材の差損千万円 : 当局は之れが処分方法に窮す」
    →震災復興に際して政府が鉄鋼を英米から買い入れた際、鉄鋼商や商社からの意見を入れず独自に値段設定を行った結果、損失を出したのだと政府を非難する記事。ちょっとまって……経済新聞でもないし、ここまで批判的に書かれているのを見るに、内容を信用していいのか微妙じゃないすか?ちょっと震災復興周りの論文か当時の回顧録探すべきですね。
  3. 「不振を極むる製鉄事業 : 海外よりの輸入で休止廃業続出」
    →長い不況と、政府が震災復興に際して関税を撤廃したことが相俟って、銑鉄業社12社が廃業に追い込まれた様子が報じられている。こちらも経済新聞ではないことは留意するべき。
  4. 「製鉄所の統一に着手する高橋農相 : 先ず八幡製鉄所を払下げ半官半民の大会社を設立する計画」
    →農相が製鉄所の合同を訴えていることが報じられている記事。八幡を民間に払い下げることも構想しているが、軍部と八幡製鉄所長官が反対していることも書かれている。
  5. 「製鉄所合同に就て(上・中・下)」
    →日本鋼管の今泉嘉一郎博士による八幡と民間製鉄所の合同論。基本的に賛成だが、製鉄業者同士の信頼や技術の問題点も指摘。国家財政における八幡の立ち位置も書かれている。
  6. 「民間側にて製鉄国策の協議 : 鉄鋼協議会を組織して共同一致の歩調を執る方針」
    →大正期における製鉄合同の記事。釜石製鉄所社長兼三井鉱山社長の牧田環が製鉄合同に大陸の製鉄業者が加わらなければ無理だと主張。
  7. 「金融制度調査会特別委員会の審議 : 信託兼営論で委員会大混乱 : 議事未了で休会す」
    →信託業と銀行業の兼営をめぐって金融制度調査特別委員会が紛糾しているさまを報じている。特に第一銀行の佐々木勇一郎が兼営論の筆頭であり、対する三井信託の米山梅吉が信託独立を訴え、激しい議論を交わしている。
  8. 「果然紛糾した信託兼営問題 : =金融調査委員会遂に休会= : 井上氏の態度から曲った信託側に政府は腐心」
    →上の記事と同じく金融制度調査特別委員会を取り扱ったもの。銀行ごとの立場についてわかりやすく書いてある。独立した信託業を持つ三井銀行や三菱銀行は兼営に賛成。一方で住友や安田のように銀行業内に信託業を設けている銀行は、信託業によって預金協定違反をしていると彼ら2行を非難する第一銀行(信託業に不参加)と対立し、第一が筆頭となっている兼営論には冷ややかな態度を取っている。
  9. 「銑鋼一貫政策に対し国策建直を要望 : インド銑問題にからんで製鋼業者の一部分から」
    →国内の銑鉄需要と供給のアンバランスが分かる記事。国が鉄鋼一貫を要請していることも報じられている。
  10. 「三井財閥による鉄鋼業の展開過程 (一九一三-一九三三年)(完)」
    →三井物産と銑鉄市場との関係がよくわかる論文。初期の製鉄合同の抱えていた問題も書かれている。物産は第一次世界大戦まで銑鉄市場において独占的立ち位置にいた。銑鉄業者の多くは彼を介して輸入を行っていた。しかし、大戦後には大陸の銑鉄業者が成長して独自に販売を行うようになり、やがて物産の立ち位置は劣勢に置かれる。そしてそれが三井鉱山による国内製鉄業者の買収協力につながったのだ。
  11. 「1920年代の鉄鋼政策と日本鉄鋼業一製鉄合同問題を中心として一」
    →1920年代の製鉄合同に対する各業者の態度の違いと経済的側面から見たその理由が描かれている。経営が危機的な業者(東洋製鉄、日本鋼管)は、八幡の民営化はともかくも製鉄の合同を優先して進めようとしたが、経営、資本が安定している業者(特に財閥系)は製鉄合同に難色を示し、政府の技術官僚の消極的態度と相まって成功しなかった。特に東洋製鉄の郷誠之助社長は、八幡の民営化を積極的に主張し、製鉄合同に反対しカルテルの形成や保護関税政策を主張した三井鉱山会長の團琢磨と対立した。また、当時の八幡の技術官僚たちは、日本の製鉄業は未だ発展しきっていないと主張し、競争による民間の製鉄業者のさらなる経営と工法の発展を促進するため、行き過ぎた保護関税政策やカルテルの形成に反対した。
  12. 「三井財閥による鉄鋼業の展開過程(一九一三-一九三三年)(続)」
    →三井鉱山と製鉄業の関係、力の入れようがわかる論文。この論文読んで製鉄業に興味を持った。三井御三家全員出るので三井オタクは全員読みなさい。三井鉱山は銑鉄市場で窮地に立たされた物産の協力を得ながら、三井財閥内からの批判を受けながらも製鉄業への関与を深めていった。彼は財閥内の企業や興業銀行から釜石や輪西の製鉄所へ多大の資金を引っ張り、その規模を拡張し鉄鋼一貫体制を確立するとともに、以前より三井鉱山内で研究していた石炭化学産業への多角化を推し進めた。
  13. 「八幡製鉄所における筑豊地方からの原材料調達と筑豊鉱業主」
    →二瀬、戸畑の描写の参考に。二瀬炭鉱は八幡製鉄所の原料供給のために買収された炭鉱によって設立された官営炭鉱会社であったが、石炭の質というよりも、買収の比較的”容易な”炭鉱を買収して設立されたものであり、その石炭の質は八幡での未熟なコークス製造技術と相まって、大きな問題となった。八幡は、新しいコークス炉の開発と中国や他の炭鉱からの優良炭を二瀬の炭と配合することでこれを乗り越えた。また、東洋製鉄の製鉄所建設計画では筑豊財閥同士が誘致合戦を繰り広げ、戸畑に進出していた安川=久原一門の勝利によって、新しい製鉄所へ自身の経営する九州産業鉄道の販路を見出そうとしていた麻生一門が窮地に陥った。
  14. 「経営者、社外取締役と大株主は本当は何をしていたか?:東京海上・大正海上の企業統治と三菱・三井」
    →東京海上と大正海上の描写に。良好な経営の発展を遂げた東京海上は、ついに火災保険事業へも進出することになり、同じく三菱系列であった明治火災に敵対的な買収を仕掛ける。破れた明治火災の経営者は三井物産内の保険事業設立に関与するが、三井物産は以前から東京海上と関係が深かったため、最終的に東京海上の平生釟三郎阪神支店長が三井物産の産んだ大正海上の面倒を見ることになる。東京と大正の二社は七年近く雁行するも、最終的には三井物産、合名からの圧力、東京海上の各務鎌吉専務取締役との対立によって破断する。
  15. 『倶楽部めぐり:附・財界犬と猿』
    →交詢社の描写に用いた。三田系の総本山、基本的には遊ぶ友人を作る場所であったようだ。おまけの犬猿の仲にある財界人同士の比較論が面白いのでぜひ読んでほしい。
  16. 『財閥三井の新研究』
    →三井鉱山と染料部門の説明に。わかりやすい本。
  17. 『私の人生観』
    →交詢社にはビリヤード台があり、池田がビリヤードに熱中していた時は深夜中遅くまでずっとやっていたようだ。また、タバコが吸いたくなった時、その値段分を貯金して我慢し、年末になったらその貯金で子どもたちに福引させる目標を持つことで、禁煙したらしい。
  18. 『各務鎌吉伝加藤武男伝』
    →各務が日本における信託業の発展に積極的であったことを読み取れる……て思って今パラッと読んでみたら、どこに書いてあったかわからなくなってしまった。たしかこの本にあったと思ったんですか……。え?虚偽の申告?大罪人か?しかし、少なくとも各務が信託に積極的だったことは事実だし、一応ここに書いておく。
  19. 『室蘭製鉄所50年史』
    →八幡と輪西の関係の参考に。八幡と直接的な関係はないが、なかなか縁の深い製鉄所。なお、釜石からも技術者が複数人移動している。このvar:Int!って人……「暗雲晴れん」で釜石と輪西に面識ないみたいな描写しちゃったってマジすか?
  20. 『米山梅吉伝』
    →三井信託創設の参考文献。三井銀行の池田成彬の手厚いフォローもここに記されているが、信託兼営論争の話はあまり見受けられない。
  21. 『産業フロンティア物語 第8 (信託銀行 三菱信託銀行)』
    →信託業の歴史を参考に。
  22. 『三菱信託銀行四十年史』
    →大正15年3月から三菱合資の人間と東京海上の各務が設立準備を始め、彼らの報告書のあとから、三菱銀行総務部を中心に設立が進んでいったことが書かれている。各務は当初、三菱信託の新店舗を東京海上ビルに置くつもりであったようだ。
  23. 『炎と緑と:北九州の歩み』
    →八幡の争議に関する話を参考に。安川一門の戸畑開発の様子も詳細に書かれている。
  24. 『東京海上ロンドン支店』
    →大正海上と東京海上をめぐる話を参考に。特に下巻は大正海上に関わった平生釟三郎が主人公。
  25. 『銀座六丁目小史』
    →銀座のコロンバンを検索した際に見つける。震災復興の後のカフェーの発展が興味深く、小説の内容に取り込んでしまった。
  26. 『人物写真集米山梅吉翁』
    →三井信託の株主において東京海上と各務鎌吉がかなり上位(各務に至ってはなんと三井家についで二位)であることが分かる。
  27. 「石炭科学の始まり」
    →三井鉱山親子とインディゴの関係の説明に。牧田博士、自分の理論に対する絶対の自信が凄まじい。ある意味、團譲りとも言えるのか。