暗雲晴れん(近代財界擬人化)

 
 八幡製鉄所は、日清戦争を契機に建設されたが、彼の誕生の背景には、いつでも政治的な暗雲が立ち込めていた。当時、官営で建設するということは、日清戦争の「国家の輝かしい勝利」で得た賠償金と、国民の血税を使うということを意味していた。しかも彼は生まれる前から、銑鋼一貫体制を備え、国内の鋼材の大半を生産するという遠大な目標を掲げられていたから、その予算案も尋常ではい。政策のために予算を取り合い、その予算案を検討する政治家としても放っては置けない問題であった。良くも悪くも、釜石が作られた頃より、国の政治や内閣制度はずっと発達していた。そこには、その頃よりももっと複雑怪奇で、理想や理論だけでは通らない、人々の思惑が幾多にも重なっていた。
 八幡製鉄所の建設計画を管轄していたのは農商務省だったが、揉めた相手は海軍だ。農商務省は、手始めの数年間を商業用の普通鋼の生産に従事し、経営と技術の安定を図ってから、鉄鋼業の最難関である兵器用鋼材の生産を始めようと考えていた。しかし日清戦争の経験で、どんな砲弾をもものともしない甲鉄戦艦の完成を急いでいた海軍は、農商務省の計画に怒り、すでに造兵廠のあった呉に製鋼所を増設する計画を立て始めた。議会はこれに海軍の二重予算請求だとで非難して、海軍の計画を差し止めた。つまり、八幡も呉の製鋼所も兵器用の鋼材を生産するためにある施設だから、結局海軍一人が予算を使いすぎているようなものだという訳である。
 幸運にも、この問題は対して八幡には響かない結果で終わった。八幡はあくまで軍艦をも含む船や汎用の鋼材を、呉では本格的な兵器のための鋼材を生産する住み分けをすることで、予算問題は決着した。――その時は。決着したと、そう思っていた。

 こうした中央の政治的問題は、当時八幡の建設現場で八幡の教官役をしていた釜石にはどうでもいい問題であった。なぜなら彼は、絶賛お雇い外国人らとの抗争に明け暮れていたからだ。
 1896年から開始した八幡製鉄所の建設計画には、釜石田中製鉄所で実地経験を積んだ中・下級の技術官らが多く参加していたから、釜石自身も彼らと共に北九州に入って八幡の面倒を見ていた。無論、釜石出身者だけでなく、その他の鉄道や鉱山などさまざまな業種の技術官らが、八幡の元に集まって働いている。上級に立っていたのは、欧米留学帰りの農商務省お抱え技術官らだ。
 そして、その計画は釜石の時と同じく、やはりお雇い外国人の技師らが中心となって進められた。しかし、かつて明治初期の頃、日本に近代工学を知るものがあまりに少なった時代と異なり、今やこの国の技官は西欧に匹敵する自負を持っていた。実地経験者や、欧州帰りのエリートであった日本人技官たちは、自分の技術に自負があったから、相手にどんな学や権威があろうが自分の納得できないことに従いはしない。物事を進めるにはやはり国によって違いがあり、外国人技師と日本人技師や労働者の間には感情と言語による対立が生まれ、その上外国人技師同士でさえも喧嘩し始めたのだから、もう無茶苦茶である。結局日本人の技師長が作業全般の司令塔となって、外国人技師と日本人技師を水平に命令するという形を取ることになり、対立の中心となった外国人技師は契約期間前に解雇された。おまけにその司令塔となった人間は大島道太郎、自身第一の恩人である大島高任の息子であったから、釜石もまさしく有頂天の結果である。
 そんな初っ端から荒々しい対立をしでかしていた釜石に対して、生まれたばかりの八幡は正反対の性格をしていた。
 
 八幡の地は日本海に面した平坦な大地であり、周囲を囲む山々の多くは背の低い丘陵帯であった。一部には九州名物の火山もあったが、皆すでに死火山だ。気温は温暖であったが、盆地ゆえか風が少々強く、年中曇天や雨が多い。一方で、台風や雷雨は滅多に来ない。気候は平穏な大地である一方で、河川に乏しく、国境東の郊外に位置していたから、人々は細々とした農漁業によって暮らしていた。製鉄所の西に位置する黒崎は街道の旅籠、港の町として発達していたが、やはり規模はそこまで大きくない。その有様は寒村とも言うべき状態であった。人口はたったの1000余人ほど――東北の陸の孤島といわれた釜石ですら3,000人以上いたのだから、その規模の小なること、物寂しさは特筆に値するだろう。加えて、八幡の中に属していた集落の中には、八幡製鉄所の建設によってその住居を追われ、先祖代々の山林原野も献納ともいうべき値段によって政府に差し出されていたから、今の八幡は本当に製鉄所のためにあるような存在となっていた。
 土地は、人格の形成に大いなる影響を与える。南国の男が豊かな自然によって楽天家となり、北国の男が厳しい自然によって慎重家になるように。険しい山脈と岩礁に囲まれながら、豊かな木々と美しい海の恵みによって抱かれ、漁業で暮らす人々と共に育った釜石が、どこか楽天家の要素を持つ直情的熱血漢であるのも、まさしくその一例である。一方、見渡す四方は平坦にして緑未だ少なく、人口や産業の乏しい地に生まれた八幡は、物静かでおとなしい性格をしていた。そしてまた、感情を出すこともほとんど無かった。
 

 そんな八幡は、周囲の大人にも素直であった。筑豊その他北九州の炭鉱たちは、常に無間の暗闇の中、落盤や粉塵爆発といった死と隣り合わせに生きてきたから、大小あれど、皆肝が座った豪快な性格をしている。北九州の炭鉱業の大厦の家主である筑豊炭田の勢いなど、もはやまだ成長期で小柄な八幡と押し潰しはしまいかと、官営二瀬炭鉱(筑豊炭田に属する4つの炭鉱からなる、いわば八幡の世話役とも言うべき炭鉱群である)の叔父母はよく冗談を言ったものだが、そういった怪傑児の中にあっても、やはり八幡は静かにそれをよく受け流していた。
 であるから、性格の全く違う余所者の釜石に対しても、八幡は大人しくその授業を受けていた。むしろ授業で騒がしかったのはそれを冷やかしにくる炭鉱たちであった。三池炭鉱(今や三井鉱山だ)と高島炭鉱はその筆頭格である。お互いに官営出身であり、三池炭鉱は水害の絶えなかった地質に生きる苦労人で、鷹揚たる男であったが、そのしぶとさと性格のねじ曲がったところは一級品であった。高島は身体中に傷と大火傷の跡のある、いかにも恐ろしい男であったが、寡黙であったから三池より数倍マシだと言える。彼ら二人は三井と三菱で全く別の資本系であったが、かつて高島が三池に採掘技術を教えたことと、規模が規模でよく競合して顔を合わせるから、よく二人で顔を出してきたものだ。とはいえ、実態は筑豊と釜石を揶揄いに来た三池へ、高島がなんとなくついて来ていただけであったようだが。筑豊に見つかって締め上げられているのも、やはりほとんど三池であった。商売敵と労働者には容赦しないのが炭鉱屋である。
 授業や作業が終わって夜になると、釜石は八幡と共に筑豊炭田の邸宅に帰って寝泊まりしたものだ。八幡製鉄所の長官官舎に泊まればいいものを、筑豊がしつこく八幡を引き止めるから、なんとなく居着いてしまっていた。夕食を食べていると、ゾロゾロと筑豊地区や他の北九州の炭鉱たちが八幡や東北からきたとかいう「先生」を見に集まってくる。炭鉱の煤がついたまま上ってくるわ、おまけに中にはふんどし一丁で飲み始めるわ――しかも、家主の筑豊炭田自身さえもこの一丁派閥だ――流石の釜石でも閉口するような光景になった。
 酒が入ってくると炭鉱たちの態度も大きくなってくる。八幡のことを子供扱いするのは当然であったが、時には釜石のことさえも歳下のように扱ったものだ。三池や筑豊のように、江戸時代の中期から開発が始まった炭鉱らも中にはいたが、彼らが釜石のことを歳下然として見た一番の理由は、刺青の有無であった。
 九州の炭坑に生きる者は、男でも女でも誰もが刺青を入れるものであった。筑豊の背の豪勢な大日如来や三池の胸の大牙を剥く蛇など、炭鉱たちは自分の艶やかな刺青に矜持を持っていた。刺青は炭坑の山に生きる人間の勇気の象徴であり、護符である。山の深い暗闇に蠢く魔物を睨み、事故に対する恐怖から自らを奮い立たせる証だ。彼らにとっては、刺青の無い者など仕事を知らない子ども同然だ。
 彼らは盛んに釜石へ刺青のことを語ったが、釜石製鉄所としては、別に自分は山に生きる人間ではなく、あくまで炉と共に生きる存在であっただから関係ないだろうと一蹴した。そもそも政府や幕府お抱えだった職人気質の強い釜石には、刺青はやはり罪人の証だという思いが強かったから、よく口論の話題にしたものだった。
 喧嘩好きで学問好きな釜石は、気兼ね無く口喧嘩が出来るこの酒の時間を好んでいたし、八幡も大人しくその隣に座って聞いていた。筑豊や年季入りの炭鉱たちはよく八幡を呼んで自分の横に座らせていたが、時間が経つといつ間にか釜石の隣に戻ってきていた。八幡曰く、炭鉱たちの自分への好意は嬉しいが、可愛がられることにも結構気を使うらしい。半ばぶっきらぼうな釜石先生のそばにいる方が気楽だと。
 人々の口論の中、八幡は滅多に口を挟むことはなかったが、釜石が早く上がって寝るようにいうと「でも、先生と皆さんの話や意見は面白いですから」と残りたがっていたので、八幡もその時間が嫌いというわけではなかっただろう。時に熱が入りすぎると、釜石と炭鉱たちが殴り合いの派手な喧嘩をすることもあったが、八幡はやはり、それを静観するだけで口を挟んだり止めようとはしなかった。
 自分は、先生や養父たちに、そんなことができるような立場ではありませんから――一度だけ、皮肉屋の三池が相変わらず静観に徹する彼を冷やかした時、八幡は淡々とそう答えた。その目にはやはり、なんの感情も映さないような射干玉の瞳があった。釜石は、赤く火照った拳で派手に殴られた自身の鼻先を拭いながら、八幡のことを不思議そうに見る。他人が苦手なわけではないだろうが、どうにも、引っ込み思案な子どもだ……。
 
 人間たち――技師長の大島や、長官の和田維四郎なども八幡を可愛がったが、中でも和田の献身ぶりは群を抜いていた。和田は元より、最初から兵器用鋼材を作ろうとしていた第一の建設計画を練り直して、商業用鋼材から始めようと方向転換をなさしめたその人である。八幡のために国内外の鉄鉱山と、二瀬炭鉱の買収を指示したのも彼だ。いわば八幡製鉄所建設の屋台骨とも言うべき人で、八幡も彼には信服するところが多かった。
 作業が中断されて手持ち無沙汰になった時などは、積極的に八幡に種々の新聞を読ませて社会や政治の情勢について講義していた。八幡は滅多に自分から何かを言うタイプでは無かったが、和田の前では多少わがままを言うことがあったようで、彼が苦笑しながら八幡に菓子を買って一緒に食べているのを、釜石は見たことがある。またあるいは、作業や授業の休憩中に、二人で海浜へ歩いて行って何かしらの石を集めていてくることもあった。和田は元々鉱石学者であったから、珍しい鉱石に目を留めては、八幡にその特徴や古今東西の逸話を講義するのだ。八幡は帰ってくるなり、その日の収穫物を広げて、山の産業鉱石以外に全く触れてこなかった周りの炭鉱たちや自分に見せびらかした。その時の八幡は、おそらく和田からの受け入りなのだろうが、珍しく八幡の方から積極的に話しかけてくれるものだから、釜石も微笑ましいものだと思っていた。なんとなく――養父や叔父母たち、あるいは自分の知らないものについて、教えることを楽しんでいるように見えた。
 和田は理知的な性格でありながら度量の広い男でもあり、八幡のためなら、批判さえも厭わないという果断の人でもあった。かつて政府の技官によって辛酸を舐めさせられた釜石も、彼のことは快く思っていた。
 

 八幡製鉄所は、明治33年頃から資金不足で悩まされるようになった。なにしろ、国家の維新をかけた一大計画だ。今までに類を見ない、莫大な規模の鉄鋼業施設を作るに当たってはどうしても必要な予算がどんどんと膨らんでしまう。和田は幾度と資金の補足を政府に求めていたが、却下され続けていたのだ。
 折下、明治33年末に起こった義和団事件によって恐慌が起こり、政府の財政は逼迫していた。日清戦争で急激に膨張していた脆弱な日本の資本主義経済は、国際的な市場の緊縮に対応できず、当時最大の輸出産業であった紡績業を中心に大打撃を受けた。金融においても、初めに九州各地の銀行が破綻し、やがて関西、横浜、関東へと火の手が広がるように多くの銀行が破綻・休業に追い込まれたのだ。政府も、無い袖は触れぬのだという態度であり、議会も当然それを許さなかった。
 和田は頭を抱えた。もうすぐ、以前から予定されていた開始式が目前に迫っているのに、八幡には設備投資の著しいアンバランスが生まれていた。そしてそれは、作業に甚大な支障をきたしている。目玉となる欧米式の最新の平炉、高炉があっても、燃料・運搬設備はその本領を発揮させる程の能力を持っていない。特に動力源の蒸気供給が不足によって、満足に施設を運転させることもできなかったから、作業をするのも半日ほどに限られていた。加えて、未だ不慣れな作業で試行錯誤を繰り返していたから、設備も幾度と故障を起こす。技官たちも夜通しでその故障を研究し、なんとか次の日には直そうとする。特に、開始式のためについ先日建設された設備には、皆手こずらせていた。
 どうにか、和田もこの開始式の日程をずらしたいものだと思ってはいたが、政治家から皇族まで連なる盛大なセレモニーとなる以上、そんなことを望めるわけがない。刻一刻と迫る式の予定日時に苦悩する他なかった。
 
「……」
 開始式数日前の夕暮れ時、釜石が一人海の方で進む港の建築作業を眺めながら、作業所の端をぶらついていると、八幡が一人建物の階段に座って、遠くの長官官舎の明かりを眺めているのを見つけた。
「おぉ、聞いたか八幡?お前の開始式、新聞記者やら官僚だけじゃなくて、伏見宮の殿下までお成り下さるらしいなぁ!」
 釜石はいつものような快活な調子で話しかけてその隣に座った。八幡はこちらを一瞥して黙っていた。あまり、晴れやかな顔ではなさそうであった。これが八幡のいつもの調子といえば、そうなのだが。
「あぁ全く信じられねぇ……俺の時はこんな派手な式なんて一個もなかったのによ……」
 釜石は苦虫を噛み潰すような顔で過去のことを思い出した。八幡が政府から盛大な扱いを受けているのは嬉しいことだが、そうなると何もかも中途半端に破綻した自分の官営時代が憎たらしくてたまらない。
「先生は……」
 八幡が不思議そうに口を開いたのを見て、釜石はおう、と返事をした。
「先生は、こういうのって怖くないですか」
 実に子どもらしい質問だな――釜石は思わず八幡の頭を撫でた。八幡にとって色々不安があることは、間近で見てきた分重々承知している。
「ううん……先生は無いな。勿論、作業をするのには緊張はするさ。でも先生はいつでも……怖さとか不安を感じたことはない」
「……どうしてですか?先生が……その、一度官営で……失敗なされた後、新しい人と一緒に作業された時。それも怖くなかったんですか?」
「……」
 食い下がる八幡に、釜石は頭を掻く。しかしすぐに、心底誠実な目で八幡を見た。その目にはいつも自信が満ちている――八幡には未だ理解できないくらいに。
「おう!怖くなかったさ!俺はいつだって自分ができる奴だって知ってるからな。どんだけ失敗してもいつかは成功する――そう思っていりゃあ、この世に怖い失敗なんて死ぬことくらいしか無いぜ」
 自分ができる奴だと知っている……あぁ!八幡は目を伏せた。自分……。自分は、一体「自分」の何を知っているのだろうか。
 釜石は落ち込むような顔の八幡の背中を撫でる。
「安心しろよ。八幡……お前は本当に幸福な奴だよ。お前の周りには、俺の時よりずっと良い、ずっと多くの技官が働いてる。それに、俺や、周りの炭鉱のおっさんどももお前のことを応援してるんだ。……口はうるさいわ、すぐ手が出るわ、難点は多いが、みんなお前の頼りになる先輩だ」
 優しく語りかける釜石に八幡はおずおずと目をあげた。
「八幡」
 普段は少々荒々しい性格をしている釜石だが、こういう時には必ず肝の座った兄貴分として頼りになる存在となった。八幡には……その自信と、胆力が羨ましかった。何もかも自分には足りない。足りないどころか、自分がそれを持っているのかさえ、八幡には分からない。
「怖がる必要なんてないさ。たとえ失敗したって……きっと成功する日が来る」
「……」
 八幡は祈るような気持ちで目をつむった。
 すでに日は落ち辺りも暗くなっていたが、長官官舎の灯は未だ消えていなかった。和田や皆は開始式の準備に悩んでいるのだろう……。あるいは、また予算のことで紛糾しているのかもしれない。……自分が、開始式でうまくやれたら、予算だってうまくいくのではないだろうか?偉い人もたくさん来るのだ。自分の……優秀さを見せることができたら、和田や皆にとって一番の助けになるだろう。
 失敗は、怖くない……八幡は、釜石の言葉を反芻した。釜石のいう理屈は分かっていたし、自分がそのプレッシャーに押されていることも自覚していた。
 それでも……開始式だけは、失敗できないのだ。
 皆のために。成功しなくてはいけない……。

 明治34年11月18日、八幡製鉄所で開始式が行われた。政治家や皇族でけでなく、外国人記者や領事館の外交官や商人も集まっていた。数年前まで北九州の寒村であった八幡では、全く考えられないような式典である。
 伏見宮貞愛親王の令詞に始まり、平田東助農商務大臣の式辞が続いた。八幡は緊張の面持ちで作業の準備に取り掛かる。長官の和田による八幡製鉄所の設備内容と成績の報告が始まった。八幡に与えられた仕事は、開始式において、実際に高炉作業の様子を見せて、出銑までの工程を伝えることだ。
 熱波の前では八幡の冷や汗も、すぐさま体中から吹き出す汗と共に混じって流れ出ていく。あぁ!そのままこの胸を張り詰める緊張でさえも流れ落としてほしい――八幡は小さい不慣れな体を支えて、なんとか作業を続けた。出銑は、未だ設備や技術が完成していない八幡にとって、簡単な作業ではなかった。現にこれまで何度も失敗したことがある。八幡は静かに深呼吸する。熱い空気が皮膚を焼く。
 和田の説明はもう終わったろうか?もうすぐ来賓がやってくるだろう。大丈夫……。来客が来ても、設備になんの異常がある?目の前のことに集中するんだ。
 技官たちが説明している……人々は高炉や平炉の方を眺めて満足そうにうなずく。平野に立って噴煙を上げる巨大施設はやはり圧巻の風景だろう。日本の鉄鋼供給を支える東洋一の大製鉄所!それは、かつて八幡で死に絶えた死火山が、人の手によって今再び復活したかのような景色であった。技官らが圧延工場や鋳銑場へと人々を案内しに回っていく。
 八幡は額を拭った。心もとない蒸気設備でも、今日のところは順調だ。
 そして温度計を確認する。
 瞬間、八幡は驚愕した。
 炉温が!
 急激に、低下して――

 吹き出したコークスは、まさしく八幡の顔に泥を塗るように、床に黒々とした焦げ目をつけて、あたり一面に広がった。加えて、炉の穴を塞いでいた粘土がこれによって漏水、凝結し、再出銑まで一時間を要する結果をもたらした。待たされたのは、一人八幡のみでなく、来賓の人々も同様である。議員や新聞記者などは、しきりに不安の声をあげて和田長官や日本人技官に詰め寄った。無論、彼ら八幡の技官は、設備未完成の八幡ではこうした出銑の事故がよくあることで、決して心配には及ばないのだと力説したが、人々は納得しなかった。あるいは、懐疑の面持ちで八幡を立ち去り、そうでなければ、同情の目で八幡を眺めた。八幡は、彼らの方を振り向くこともできず、床のコークスの跡を眺めた。
 遠くで、和田が何かを言っているのが聞こえる……。誰に何を言っているのだろう。自分か、立ち去る人間たちなのか……。駆けつけてきた釜石が、自分の肩を抱いて何か声をかけてくれていたが、何を言ったのか、八幡には聞こえてはいなかった。
 翌週、東京各地の新聞が書いた八幡の開始式への批評は、辛辣極めるものとなった。

 
 いつものように東京から届けられた数種の新聞を読んで和田は八幡のために同情し、記者や政治家らの無理解を虚しく思った。そして慰めにやってきた知人の政治家の話や手紙に接して、和田は憤った。周りの技官らに、決してこんな新聞は八幡には見せるなと厳命した。
 和田の怒りは、呉製鋼所を建設していた海軍へ向けられたものであった。

 前述したように、呉製鋼所は、八幡での商業用製鋼を不服に思った海軍が独自に建設計画を練った、いわば八幡とは双子のような存在に当たる施設であった。当初こそ海軍の計画は貴族院によって差し止められたが、製造物を区別することで、なんとか海軍はその計画書を通すことができた。和田も、これで海軍の厄介ごとや文句が終わるだろうと思っていた。
 しかし、問題は決して終わってはいなかった。むしろ、時局が進むにつれて、その問題は肥大化しつつあった。
 予算の問題である。
 海軍も、農商務省も国の財政によって運営されているのだ。当然、八幡製鉄所と呉製鋼所は、互いに予算を取り合う政治上のライバルに位置付けられていた。
 海軍は焦っていた。今までその艦艇をイギリスからの輸入に頼っていたことは、日本の軍事上、なるべく早く克服しなければならない問題であった。また、海軍の焦燥感を募らせた背景には、ロシアの影もあった。日清戦争以降、朝鮮半島において日本とロシアは静かなる睨み合いを続けている。それまでなんとか経済上の対立に収まっていた睨み合いは、義和団事件によってまさしく政治的な問題に引き上げられた、一触即発ともいうべき事態と化していたのだ。
 すでに呉製鋼所の計画段階で、一度その計画書を差し止められていた海軍は、強い危機感を抱いている。彼らは呉の拡張費を得るために、軍を上げての議会工作活動を開始した。彼らは、なんとかして、議会から「八幡より、呉だ」という評価を得たかった。
 
 明治34年11月16日と同月19日の二度、海軍は呉造兵廠で見学会を行った。招待状は山本権兵衛海軍大臣の名義で送り、対象は貴族院・衆議院の全議員のみならず、各省には大臣から総務長官まで、そして桂太郎内閣総理大臣までをも対象とした大規模なものであった。宿泊施設、送迎の手配も万全である。海軍艦艇2艦を派遣し、あるいは電車で来るものには、臨時列車の無料乗車切符を発行した。それは、八幡製鉄所開始式の翌日、19日の午前六時に出発するものであった。明らかに、海軍は八幡製鉄所との比較を意識していた。
 であるから、特に19日の八幡製鉄所帰りの議員たちを迎えたときの海軍の対応ぶりは、半ば異様な体であった。招待状の主人である山本権兵衛海軍大臣から斉藤実総務長官、鎮守府長官らが総出で彼らを出迎え、工廠内のほぼ全ての工場施設を隈無く案内した。そして製鋼設備へ至ると、海軍大佐自らが熱心に先頭にたって、呉製鋼所の優秀さを熱弁する。さらには呉造兵廠で作られた製鋼板を用いて弾丸発射実験を行ない、その優秀さを鮮烈に印象づけたのだ。
 それは、忙しさのあまり準備のできていなかった八幡の開始式の工場視察とは、全くレベルの違うものであった。八幡製鉄所の案内は、新聞紙上で半ばいい加減なものであったとまで評されたものだが、一方で呉製鋼所の案内は、その懇切丁寧な力の入れよう、もはや海軍の異様な熱意に記者らが困惑を示したほどであった。

 それはあまりに露骨な対比であり、順って「勝敗」もまた、露骨に現れた。議会と世論を誘導しようとする海軍の用意周到たる工作は、偶然にも八幡の開始式での事故と重なって、一層の効果を高めた。
 新聞紙上では異様な光景が現れていた。八幡製鉄所の開始式に参加した外国人記者らは、ほとんどコークス噴出の事故には触れず、詳細にその設備の内容を伝えると共に、優れた技術水準の設備を賞賛して日本製鉄業の経緯と展望を書いていた。一方で日本の新聞紙上では、コークスの事故を大々的に伝え、時に呉での比較を用いて八幡を非難した。特に、その当時政府に批判的立ち位置にあった新聞の報道は苛烈であった。政治家たちも同様であった。皆、呉での海軍の新設備とその熟練度に感動し、対する八幡の「情けない熟練度」を批判した。
 製鉄業に元々知識のあった外国人記者らが、八幡のコークスの事故にも同情を示して冷静にその設備と展望を伝えていた一方で、未だ製鉄技術が浸透していない日本の記者や政治家は、知識が少ない状態で海軍の抱き込みをまともに食らったのだから、呉製鋼所へと靡くのは当然であった。

 
 
 海軍のやり口とそれに靡いた新聞記者へ怒った和田は、八幡から新聞を取り上げたが、ダメと言われるとなお見たくなる性は、おとなしい八幡の中にもあったらしい。筑豊や釜石などの周りの大人に頼み込んで、すぐに新聞を手に入れた。大人たちも、八幡の評価にはかなり興味があったようで、皆こぞって協力したからだ。しかしすぐにその新聞も紙屑になってしまった。夜半に筑豊の屋敷に集まった炭鉱たちだったが、字の読めない者が多かったから、八幡が代わりに音読して読んでやっていた。そして内容が進むにつれて、その批判に激怒した筑豊が新聞紙をズタズタに引き裂いてしまったのだ。筑豊の怒りは尋常でなく、大人たちが総出でそれを収めるまでに、障子を二、三枚を破壊し柱には拳の凹み跡が残ったほどであった。
 大騒ぎをする大人たちの喧騒の中で、八幡は舞い散る紙片を見つめた。
 はっきり言って、自分のコークス噴出事故について批判されることは、心苦しくなかった。自分でも、失敗だと自覚していたから、今更他人から何を言われても、全くその通りだと言わざるを得なかった。何よりショックだったのは、自分のために尽力してきた和田や大島たちが、さも実力なくして人格にも問題があったから、今回の事故が起こったかのように書き立てられたことであった。自分の失敗のせいで、その批判に他人を巻き込んでいる……開始式の前まで、あんなに自分の成功を祈って、それが和田らの苦心する予算獲得の助けになると信じて、自分をなんとか奮起させていたのに……。八幡は、俯いた。
 和田は、新聞紙上での反論を試みたが、それは北九州の地方紙にとどまるのみで、中央まで届くことはなかった。

 
 それでも八幡の作業が止まるわけではない。むしろ、八幡はなんとか汚名を返上しようと、一層勉学に、作業に努力した。夜間を徹してでも八幡はそれを続けようとした。
 
「八幡……おい八幡!」
 釜石の大声が夜闇の中で冷えわたる製鉄場に響き渡った。
「先生……」
 八幡はその一喝に飛び上がると、申し訳なさそうに顔を上げた。八幡が座っていた階段の縁には、幾つかの洋書が積まれている。罰が悪そうに、八幡は目を逸らした。
「お前な……いいか?本を持ち出す時には、ちゃんと申し出ろ。そして、もう、お前は帰って寝る時間だ」
 時刻はすでに十二時を過ぎ去り、職工たちもいない製鉄所は、風の通り過ぎる音が反射するのみであった。
「……帰りたくないんです」
 八幡はどんな顔をすればいいか分からず、俯いた。釜石は、その姿に何も言ってやれず、屈んで八幡の顔を覗き込んだ。
「……和田や技官の皆が帰れずに残っているのに、僕一人帰れません」
 今日も、長官官舎の明かりは一向に消える様子がない。彼らが自分のために悩んでいるのに、どうして自分一人が休めるだろうか。職工たちが帰って作業ができないのなら、その分一人で勉強する時間を与えられたようなものだ。無論、こうやって本を読んでも、今すぐにこの苦難の解決策が思いつくほど、八幡の学問が進んでいるわけでもないことは理解していたし、釜石のいう通りきっと寝た方が自分の体にいいのだろうとも理解していた。だが、感情は納得がいかない。
「何かしてないと、不安になるんです。でも、僕が皆にできることは、こうやって勉強することだけでしょうから……」
 釜石は片眉を上げた。何か言いたげなように口元が歪んだが……突如として決意したように立ち上がると、周りに散らばっていた洋書をかき集めて自分の持っていた手提げの麻袋に詰め込んだ。
「えっあ……すいません、僕が持ってきたのに、そんな……」
 困惑する八幡を睨むと、釜石はいきなりその彼の体を持ち上げた。釜石は、その筋骨隆々たる右腕一本で八幡を肩に担ぐと、寝泊まりしている筑豊の邸宅へと歩き出した。
 
「八幡……お前は、自分は何もできない、だから悪いみたいに言ってくれるがな……」
 海に面した、果てしなく静かな平野の夜道を大股で歩きながら、釜石は、静かに語り出す。
「筑豊の爺さんは、お前が自分の家に帰ってくるだけで大喜びだよ!」
 釜石の声は、怒っているような荒げ方をしていたが、それは八幡を元気付けようとしているようにも聞こえた。
「俺もお前が元気でいてくれたら大喜びだ!」
 だだっ広い八幡の大地に、釜石のよく通る声が響き渡っている。夜空の星が、山の縁の民家の灯りが、呼応するように瞬いた。腹から出てくるそのはっきりとした大声は、自分の喉からは到底想像もできないと、八幡は静かに考えた。あぁ、釜石のその絶大な自信は声にまでも満ち溢れているのだ。
「自分に何ができるかなんて今から考えてどうする!開始式がどうした!?お前は設備もまだ完成してない子どもだろ!何もできなくて当然だ!」
 釜石はまっすぐ前を睨んで歩き続けている。その横顔はどこか厳しげなものだったが、八幡はそれが自分への優しさなのだと知っていた。
「それでもな――」
 釜石は深呼吸した。どこか恥ずかしがるように逡巡していたが、意を決して今日一番の声を上げる。
「俺も!筑豊も!和田も!皆、お前のことを愛してるんだよ!」
 八幡は目を見開いた。そして、何とも言い難い表情で釜石の肩に腕を組んで顔を埋める。釜石のやり方は武骨そのものであったが、彼の言いたいことは八幡にもよく伝わっていた。お前は皆から愛されていて、ちょっとやそっとの……いや、たとえどんな失敗や難航があっても、決して見捨てはしない……。
「……」
「だから無理して体壊してもらっちゃあ、俺たちも辛ぇよ……」
 わかっている。
 こんなにも温かい人々に囲まれていて、八幡は嬉しくないわけがなかった。自分が愛されていることは本当に幸運だといつも思っていた。釜石がたったの3年で政府から見捨てられたのに対して、八幡は5年以上も計画が難航しているのに、未だ人々が熱心に自分のために働いてくれている。
「八幡」
 釜石の自分を呼ぶ声が夜空へと溶けていく。
「愛してる……いつでも」
 八幡は何だか泣きたくなった。
 周囲の親愛を理解していない八幡ではない。むしろ痛いほど理解している。それでも……八幡は、釜石が言うように、人々の愛を感じて、安心して、自信を持つようなことは無かった。むしろ、人々に愛されていると思うほど、何とか愛情に応えなくてはならないと不安になるのだ。
 自分は……人々からの愛情に足る存在ではない。
 八幡は、釜石を心底羨ましく思った。どうしたら、彼がそうであるように、自分のことを信じられるのだろうか?自分には未だ何もないのに、何かを成功させるために、自信を持たなくてはいけないのなら……自分は、一生成功などできないのではないだろうか。
 八幡は、自分の消極的な考えを打ち消すように、釜石の肩口にぐりぐりと額を押し付けた。
 釜石は、その様子を肌で感じて、どうしたらこの子にもっと希望を持たせてやれるのだろうかと苦悩した。八幡のコークスの事故を責めるようなことは、釜石は一切言わなかったし、和田も決して口にしなかった。むしろ、事故はよくあるものだ。それが開始式に起きたのは、単なる不幸だと慰めた。それでも、その事故は八幡の中で大きな負債となっているのを釜石も感じていた。
 釜石は、海軍の当て擦りのようなやり口や、それに乗っかって八幡を批判する新聞紙に憤怒していた一人であった。もし釜石が八幡の位置にいたら、今すぐ丸鋼材をしこたま作って新聞社や呉を襲撃しに行っても、おかしくは無かった。間違いなく、頭が沸騰して暴走していただろうし、筑豊炭田もそうだった。しかしそれでも大人たちがこうやって今も北九州に収まっているのは、その八幡自身が怒りや不満を見せなかったからだ。むしろ、ひどく自分の内へと引きこもっていくように見えていた。だから皆、その反応が意外で、心配して気が気でなかったのだ。

 
 釜石が寝てくれと言っても、製鉄所全体が夜を徹して作業し始めるとそう言ってはいられない。今日もまた昼間の作業で故障が起きた。技官たちは必死に製鉄所に詰め込んで修復作業にあたるから、どうしても帰れない。釜石は首を捻った。もっと設備が複数あれば、余裕を持って直せるだろうが……そう語る釜石の横で、八幡は黙って故障の報告書を読み込んでいた。たとえ故障続きの設備でも、自分は使いこなさなくてはならないのだ。新しいものを買う猶予は、ないのだから。
 
 その日は、溶鉱炉の火入れ作業を行なっていた。連日溶鉱炉の故障が相次ぎ、技官という技官は皆夜も眠れずその原因調査と復旧にあたった。しかし、第二溶鉱炉の作業中の事故によって炉は爆発、大轟音を辺りに響かせた。幸い重傷者を出さずに済んだものの、炉の方はすでに重体だ。慌てて飛び出してきた和田を前に、八幡は項垂れる。
 ただでさえ、予算が逼迫しているのに!故障を治すどころか、溶鉱炉を台無しにしてしまった……。
 和田は、首を振って八幡の頭に手を置いた。
「……」
 何か、慰めの言葉を言うつもりであったのだろうか。和田は一瞬逡巡して目を逸らしたが、普段のような温かい眼差しで八幡を見つめて、告げた。
「我々は……本当に、偉い学問に生きてしまったものだね」
「……」
 八幡はその意味を図りかねるように、和田の顔を見つめた。
 彼はただ黙って、苦笑するように微笑むだけだった。

 

 明治35年1月、国会の予算会議は早速八幡と呉について議論がなされた。海軍によって抱き込まれた議員は呉の拡張の優先を主張し、八幡の予算拡張案は到底目込めなかった。いや、事態はそれだけで収まるようなものではなかった。
 2月、和田が懲戒免職されたのである。

 創立予算の膨張と、物価の上昇によって、八幡の財政逼迫に悩まされていた和田は、外国に機械を注文するための費用を流用して他の設備投資に回した。つまりは、議会の承認を得ずして予算を変更させたのである。開始式に八幡の操業を間に合わすための苦肉の策であった。八幡のためなら批判をも厭わない――形式ではなく、自分の道徳に従って公正明大に生きる和田は、自ら汚名を被ることを選んだ。
 議会は、和田の行動を厳しく非難した。仮にも議会制の立憲国家にあって、官吏が議会を超越した行為を行うのは、どんな理由があれ大罪に値するのだ。和田は懲戒免職、技師長の大島含め八幡製鉄所の指導的立場にいた技官らも全員辞任させられ、八幡の計画の停滞に対する製鉄事業調査会が建てられた。調査会では、八幡の作業の不調が和田や大島らの独断専行や、実力不足からきたと主張する者が少なくなかった。以前、八幡の建設計画に携わり、和田らと共に働いていた技官たちまでも、八幡と彼に厳しい評価を下した。人々の中には、政府の負債と化している八幡を早く民間へ売り払うべきだと主張するものもいた。――官営釜石製鉄所のように。

 東京の新聞では、今日も八幡に関する暗雲を書き立てていた。予算会議で八幡の予算を獲得するため議員に工作し、その見返りに発注のリベートを政党に流したのだとか、あるいは、当時財界の恒星であった井上馨の手先として、八幡の利権が扱われているのだとか……。
 すでに、八幡製鉄所は、まさしく中央政治における政争の舞台装置の一つと化していた。実直な性格の和田にとっては、もはや八幡を取り巻く暗雲に耐えることはできなかった。すでに明治32年12月、開始式の翌月の時点で、彼は八幡の来年度予算案と共に辞表を提出していたのだ。今更、懲戒免職を言い渡されたところで、最早衝撃はない。ただ、八幡に対して申し訳なく思うのみであった。
 
 和田は、自身の辞任について何も言わなかった。ただ一つ、八幡との別れに際して、すまない、と告げたのみであった。八幡は、別れを告げられたその時、涙を出すことはなかったが、なぜだか一気に喉が締めつけられたような感覚になった。
 一人になった八幡は、海辺を眺める。二人が何度も訪れた八幡の海浜の向こうで、ゆっくりと日が沈んでいく。
 斜陽だ。
 終に、自分は、自分のために、多大な愛を与えてくれた人間へ、何も返すことはできなかった。
 それどころか、政府からの追放という引導を渡したのだ!
 夕日は目にも分からない速度で沈んでいく。それでも、気がついたときには一瞬でその姿を消して、無間の闇が当たりを包み込むのだ。未だ発展途上にある八幡には、当然その街路の灯もなく、民家のわずかな灯さえも、遠くに見えるか細い点描のようだ。見渡す限りの闇が、今日も八幡の大地を包んだ。
 吹き荒ぶ風!盆地に位置する八幡特有の気候が、冬の痛々しい風となってその未だ小さな体を打つ。
 八幡は……俯いた。
 飛んでくる砂塵から目を守るために。
 自分の感情に、なんとか蓋をするために。

 

 しかし帰り道に至って、製鉄所を見上げた時、八幡の感情はついにその蓋の合間からもがき出るように、吹き出してきた。
 こんなにも大きな建物があって、一体自分は人々に何をもたらしているんだろうか。何をもたらすのだろうか。こんなにも大きい、圧倒的な設備でもって、人々を、政府を、そしていつかは市場をも圧迫する怪物へと変わらなければならないのだろうか。いや、自分は生まれた時から、怪物同然であった。この八幡の地に生きる人々は、政治家たちが製鉄所を誘致するためにその財産を奪われ、挙句のはてに、何百年と生きてきたこの地から追い出されたのだ。国のため、未来のためと称しても、どうしてこんな残忍な行いが、怪物の所業でないと言えるものか。
 今の調査会が終われば、もしかすれば、この怪物も餓死させられるのだろうか。しかし、かつての八幡の人々も、和田たちもまた、皆すでにこの怪物によって食われてしまった……。
 その時、八幡は自分が長い間抱えていた不安の正体に気がつき、ハッとした。自分が、自分のことをこんなにも不安に思うのは、この自身に対する嫌悪感なのだ。自分を信じられないのではなくて、信じたくないのだ。他人を、愛する人をも傷つけるこんな怪物の存在が、許せない自分がいる。
 しかし、今や灯も無く、誰もいない、夜空の中にただ影だけをたたずませるその怪物は──まるで死に絶えて物言わぬ恐竜の化石のような静謐さで、ただ黙ってこちらを見ている。
 許せないのであれば、殺すのかと、聞いている。
 和田が庇って犠牲となった自分を。人々が愛した自分を。
 あぁ!自分は何を考えている?
 感情が、許せないという嫌悪が、心臓にナイフを突き立てているのに、理性は人々の愛情を盾に着てそれを許さない……。
 矛盾にせめぎ合う感情は涙に変わって、止まらなくなった。

 

 和田がいなくなって、八幡も一人で色々考えたいこともあるだろうと考えていた釜石は、彼が一人で海浜に向かうのも特に引き止めず、その後ろ姿を見守っているだけだった。
 しかし、夜になっても筑豊の邸宅にも製鉄所の方にも帰ってこないから、釜石と二瀬炭鉱たちが大慌てで探し始めた。よもや海浜で何かあったのでは無いかと釜石が自分の無責任さを悔やみ始めた時、製鉄所から数丁離れた、かつて和田たちがいた八幡の長官官舎の方で子どもの泣き声がしたとかいう人々の話を聞いて、探し人たちは皆長官官舎へすっ飛んで行った。

 灯もついていない暗い長官官舎――上級の技官たちは皆、辞職によって引き上げて行ったので、会議や作業をする者も居らず、今日は珍しく日が沈む前にはすでにその灯を消し、無人となっていた。普段からあまり訪れない上に、まさか電気もつけず提灯も持たず、こんなところに八幡がいるとは誰も思っていなかったから、釜石らがその会議室で彼の閉じこもっている姿を見つけたときは本当に驚いた。しかし、同時にどこか納得できる気がした。それは、かつて製鉄所の後でずっとついていた灯のあった場所だ。
 人々が聞いていたのは、八幡がここまで歩いてくる最中に聞いた鳴き声だったらしい。人々が部屋に入った時には、すでに声も上げず一人で角にうずくまってさめざめと無くのみであった。
 炭鉱たちもさまざま声をかけたようだが、八幡は一向に固く下を向いて顔を上げなかった。筑豊が半ば焦燥の顔で、黙っていた釜石を見る。彼の顔にも苦い色が浮かんでいた。
 釜石にはどうやって八幡に声を掛ければいいか分からない。八幡はどうしてそんなにも落ち込むのか?開始式で起きた事故などよくあることであって、運悪く怒ってしまったのだから、自分を責めるべきでは無い。和田たちが失職したのも、八幡が悪いわけではなく、不景気に見舞われてしまった不運と、中央の政治家たちの足の引っ張りが原因なのだ。そして、その中心に関与して問題を大きくしたのは、海軍だ!彼らが呉製鋼所さえ作らなければ、少なくとも予算の取り合いなどという問題は起こらなかっただろう。八幡には、彼らに対する怒りや闘争心が湧いてこないのか?
 
「八幡……」
 釜石は八幡の肩を抱いて、歯を食いしばった。あぁ、自分が彼のその莫大な不安を代わりに背負ってやることができたなら、どれだけ幸せだろうか。自分には彼の苦痛を拭い去る方法が思いつかない。自分はなんて不甲斐ない師匠なのか――
「どうしてお前は泣いてるんだ?」
 八幡は釜石の震える声に驚いた。顔を上げると、釜石の目に涙があった。
「どうしたらお前の苦痛を拭えるんだ……」
 顔を歪ませる釜石に、八幡は心苦しくなった。違うのだ。自分は誰も悲しませたくないのに、どうすればいいのか分からない。釜石先生に立って分からないことが、どうして何もできない自分にわかるだろうか!
「悔しくねぇのかよ……」
 釜石の目が滲む、彼の自信に満ち溢れていた目が……。それでも八幡は、声が出なかった。ただ困惑するように口元を歪ませることしかできない。
「……」
「俺は!お前に失望した奴らに、お前がどんだけ優秀で努力家なのか見せつけてやりてぇんだ!」
 熱い慟哭だ。本当にいつでも素直に感情を表現する人なのだ。喜びを感じれば大声で笑い、悔しい時には必ず見返すてやると息巻き、怒れば即ちその声は獅子のように空気を振るわせる。
「海軍に負けてムカつかないのかよ!」
 彼は本当に、頼もしい人で、八幡のためにいつでも彼を励まそうと快活に振舞ってくれる。怒ると怖いが、それでも、八幡は自分のために怒ってくれる彼が嬉しかった。大切にするだけでなく、一種の厳しさを、愛を持って教えてくれた。八幡もよく分かっている──
「和田が首になったのも呉のせいだろ!?」
 自分もいつか自信が持てるようになれば、明るくて、頼りになる彼のようになれるのだろうかと思っていた……。この国の鉄鋼業を支え、多くの産業を支える頼りになる男に──
「このまま!負けたままで良いのかよ!」
 
 ……先生……。八幡は、絶大な悲しさと、虚しさで持って釜石の目を見た。こんなにも、自分は先生に憧れているのに……先生を愛しているのに!自分には、今、目の前で自分のために泣く先生の気持ちが、先生の言葉の意味が分からない。

 海軍への怒りも、呉製鋼所への悔しさも、八幡には無かった。予算をめぐる政争、開始式の失敗、和田の免職……全て、八幡の怒りや悔しさはいつでも不甲斐ない自分へ向かった。
 八幡には釜石のような自信を持てなかった。なぜなら、八幡には、なんの背景もなかったからだ。釜石には、鉱山があって、人々がその周りで鉄を扱い始めて、小規模な実験を繰り返しながら、長い時を経てその技術を、その実績を積み上げていった過去があったからこそ、官営の製鉄所が建てられたのだ。彼の莫大な自信も、全ては自らの手で日本の鉄鋼業を開いたという実績から来ていた。
 彼には「過去」があった。
 しかし八幡製鉄所には何もないのだ!
 北九州の小さく素朴な寒村!産業と呼べるようなものは何もなく、ただ魚をとって少量の海産物を付近の市場へ持っていくだけの小さな八幡に、突如として現れた巨大な製鉄所!八幡に製鉄所が建てられたのは、そこに筑豊炭田があって、莫大な鉄鋼を生産するに足る豊富な炭鉱があったからだ。そして、中央の政治家の多くが、九州の出身であって、彼らが自らの郷里に国家の名誉を立てたがったからだ。そもそも、最初の計画だって、幾つもの建設予定地がある中で八幡の優先順位はずっと低かった。それを、筑豊が政治家に熱烈な運動を仕掛けて、なんとか八幡に持ってきたのだ。
 いわば八幡製鉄所にとって自分の背景は全て他人の七光であった。鉄鋼業でさえも、釜石と外国の技術から譲り受けたものだ。自分の成し遂げたことは何もなくて、他人から与えられるばかり、こんなことは「八幡」でなくてもいいのだ。豊前や筑前の港町でも、安芸の港町でも、もっとずっと素晴らしい街を備えた場所があったはずなのに……。
 それでも皆、八幡の製鉄所を当然のように愛してくれる。皆未だ何もなし得ていない自分のために優しくしてくれて、自分を庇ってれる。こんなに幸福なことがあるだろうか。こんなにも他人から愛されているのに、どうして自分の怒りを、嫌悪を、他人に向けることができるだろうか。そんなものは、全て自分に向けるべきものだ。
 
 八幡製鉄所は、自分が愛されているように、きっと呉製鋼所もそうだろうと考えていた。
 自分が皆から愛され、皆を愛しているように、呉も海軍から愛されていて、海軍も呉のことを本当に愛しているだろう。
 どうして彼らを責められる?憎いと思える?闘争心をむき出しにして、殴りかかってやろうと思えるだろうか。
 誰かへの愛のために、愛していない存在を蹴落とし、傷つけることがおかしいだろうか。そうでなくとも、人々や企業が生きるうちに、どうして他者を傷つけずに、生き残れることができるだろうか。
 それは誰も犯す罪だ。
 いつか自分が独立して市場に出れば、自分もまた同じように、他の製鉄所を市場から蹴落とし、傷つけるだろう。官営の計画は民間のものとは比べ物にならないほど莫大な規模を誇っているのだ。呉でさえも、海軍の鋼材のためだけに作られた施設であるから、商業用鋼材から兵器用鋼材まで全てを担う自分とは全く規模が違う。
 そうだ。自分が市場に独り立ちする時、自分の国の大半の鋼材を賄うという生産力があれば、八幡は、間違いなく自分が鉄鋼界の覇者として君臨してしまうだろうと考えていた。市場の他の製鉄所を踏み潰し、その経営を圧迫するだろうと八幡は予感していた。
 あぁ、踏み潰される製鉄所たちの中には……今目の前で自分のために泣いてくれる、この釜石先生でさえも、含まれているのだ!
 
 釜石先生……僕の気持ちが分かりますか?
 いつでも自分を信じていて、恐怖を知らない貴方に、自分の存在にまでも恐怖を抱く僕の気持ちが……。

「……」
 八幡、再び目を伏して俯いた。釜石が本当に辛そうな顔をして、思わず八幡を抱きしめた。釜石はきっと、自分の苦悩を包もうとしているのだろう……。だが八幡は、自分の苦悩が、きっと釜石には、養父や炭鉱たちには分からないだろうと、もう理解してしまっていた。そして、理解してしまったからには、これ以上、彼らの愛に甘えて、彼らを苦悩をさせてはいけないと決意した。
 
 八幡は、いつの間にか、自分の涙が止まっていることに気がついた。
 
 これが、本当に子どもだったということだろうか。
 この世の何もかもを分かろうとしてしまう。この世の全て、努力さえすれば、今の自分にだってできることのように思えてしまうから、できない自分を許せないのだ。何もできないと思ってしまうのだ。
 他人のできること、他人の持つものの全てが、自分にだってできると、自分にも持てるのだと思い込むから、自分もいつか憧れる「他人」になれると夢見てしまう──

 分からなくていいのだ。
 自分は、釜石先生とは違う。養父や炭鉱たちとも、和田や呉たちとも、違う。
 きっと彼らには、八幡の苦しみがわからないだろう。八幡が、決して彼らにはなれないのと同じように。
 自分達は、お互いに、別の存在なのだ。何もかも。

 八幡の心に、悲しさであり寂しさとも言える諦念が生まれていた。しかしそれは、一方で清々しい感情であった。
 自分は、自分を信じる方法を、自分を愛する方法を、自分の足で探さなくてはいけない。分からないことに、苦悩して自分を憎む必要はない。歩いて、それを探し求めるのが大事なのだ。いつか自分は、自分に与えることのできない愛情を、他人に求めるべきではない存在になる。どうして、自分自身で傷つけた傷を、自分を愛する人々に、自分が愛している人々に慰めさせて、その傷のために苦悩させることなどできるだろうか。
 それは、八幡の大地の、平坦で見渡す限りの暗黒の中で、足元を照らす提灯のような勇気だった。だが、八幡製鉄所の心には、はっきりとした、決意が灯っていた。
 これからは、自分が彼らの愛情に応えるのだ。自分を信じる方法を見つけて、実績と技術を積んで、大人になって、この国一番の大製鉄所になるのだ。
 大人たちからの愛や腕に包まれて、俯いているだけでは、大人にはなれない。
 皆の愛に応えるためには、大人になるためには……。
 僕が独りで立ち上がらないと。

 八幡は、釜石の腕の中から立ち上がった。釜石や、炭鉱たちが唖然として八幡を見つめた。八幡は、毅然とした顔で前を向いて、一人で、部屋から出ていった。
 自分の足で、自分の居場所へと向かうために。

 八幡の調査会は、一時、八幡の高炉・転炉作業を中止させ、溶鉱炉の職人は600人が解雇させられた。八幡の人々は、皆民営化への前触れでないかと懸念したが、ついに八幡の民営化案は却下された。代わりに、彼らは陸軍中将に長官を任じて、予算案の一部を認めて再始動させたのだ。
 その際、皮肉にも幸運というべきか、日露戦争の準備のために政府での鉄鋼需要が急激に高まったことから、八幡には追加で費用が拠出され、設備の整備が一段と進められた。
 作業は相変わらず失敗が多かった。しかしそこへ、釜石田中製鉄所で平炉を建設してすでに鉄鋼一貫体制を完成させていた野呂景義が嘱託人として任命され、その改革にあたった。釜石だけでなく、北炭においても製鉄業発足のために従事していた彼は、度重なる失敗の原因を見極める優れた目を持っていた。
 結局、野呂の慧眼による技術の洗練と、ついに始まった日露戦争での好景気が重なり、八幡は明治43年に、銑鉄一貫体制技術を定着させる。明治26年から、約17年間の、長い困難の時代を経て、ついに八幡は自立した。

 戦争の勃発とあって、市場の好景気となってしまっては、さすがに本業をおろそかにはできない。釜石は、明治35年の秋に八幡を起ってしまったから、彼が一人前の大人となって自立した時、どんな顔をしていたのかは知らない。
 釜石が門司港の渡し場に立った時の八幡の目には、出会った頃と同じように、淡々とした射干玉の光を湛えていた。
 しかしいつの間にか──誰にも及ばされることのない、強い芯のような、黒い輝きが宿っていた。