暗雲晴れん(近代財界擬人化)

 釜石は常に「日本一の製鉄所」だと自負していた。自分は「日本一」であり「日本初」だ。そしていつの間にか、その自負には常に莫大な期待が――釜石という存在にとっては、遠大すぎるような期待の重圧がかかっていた。
 釜石の歴史はいつだって苦難の連続であった。嘉永年代から多くの高炉が建てられた釜石だったが、幕末の騒乱と水害によって多くの高炉は廃棄されていった。幕末時に建てられた大島高任の洋式高炉はその動乱を生き抜いた唯一の高炉であった。しかしそれでも、釜石はいつだって盛岡藩の期待に応える名物男だった。自分は郷里の誇りでまさしく日本一の男だ。多少の浮沈があっても、いつでも国の期待に叶うだけの質の、量の鉄を生み出していた。
 
 その期待の暴走した姿が、官営釜石製鉄所であった。政府は誉高い釜石の洋式高炉の評判を聞いて、壮大な勘違いをした。多くの鉄を生み出すと聞く釜石の鉄鉱石と製鉄所さえあれば、鉄道、兵器、造船のためどころか、国外への輸出までも狙える鉄の生産ができるだろうと。そしてそのまま、ほとんど検討をなさずしてその建設計画は進められた。洋式高炉がすでにあって運営されているのだから、きっと上手くいく……。杜撰な調査、お雇い外国人による釜石という土地の資源を知らない高炉の建設は、結局数年で破綻した。釜石の人生にとっては第一にして最大の屈辱であった。そもそも、すでに洋式高炉を建設し釜石の立地をよく知っていた大島は、政府の開発場所の案に意義を唱えていたのに、政府はそれを無視してお雇い外国人の意見を採用したのだ。しかし、そのお雇い外国人たちだって、釜石での運転に際して、怠けていた訳ではない。釜石で採石された鉄鉱石は磁鉄鉱と呼ばれる滅多に用いられない種類のものであり、彼ら自身も扱いに慣れていないものであった。彼らは苦心し、何度も挑戦を重ねて炉に向かったが、その努力を帳消しにしたのは政府から派遣された技術者たちであった。彼らは釜石の製鉄所の運営が困難で時期尚早であると決めつけ、強制的にその計画を中止させるために、経費削減と称して高炉に規格外の大きさの鉄鉱石を放り込み、炉の底を破壊した。”事故”によって高炉が壊れてしまっては、仕方がない。よもやこの製鉄所は見捨てる他ないのだ……。彼らは、釜石の前から逃げるように帰っていった。
 こんな屈辱的なことがあっていいのだろうか?彼らはさも自分が期待はずれの存在のように言ってくれるが、悪いのは俺ではない。俺とこの土地を無視して計画を進め、挙句の果てにはたった数年の挑戦さえも辛抱できなかったお前たちの無能さ、情けなさなのだ!政府に対する釜石の怒りは煮えたぎる炉そのもののようだった。
 
 明治18年、怒りに震える釜石の元にやってきたのが、御用商人の田中親子とその忠臣、横山久太郎であった。東京からやってきて、見知らぬ土地に根を下ろしてまで釜石に賭けた彼らは、官営の人間たちとは異なり、熱心に土地のことを調査した。田中が東京で資金を集め、横山が釜石で高炉を前に奮闘する。官営時代の木炭使用や鉄鉱石の基準を改め、2年にわたって幾度とない精錬を繰り返した先、ついに作り出した鉄は、政府による品質調査において欧米一の兵器商クルップの商品にも劣らないと評された。この時の釜石の喜びようは言葉にあらわしようが無い。官営時代、自分に愛想を尽かした奴らの鼻を大いに明かし、これでは日本一どころか、天下一の男として知られるのも時間の問題だとさえ思っていた。
 明治20年代は苦しい経営が続いていたが、釜石はそれでも金の心配をしたことは無かった。眼中になかったと言っていい。鴻鵠焉んぞ黄白を顧みる!自分の銑鉄と勇猛果敢なる田中家の財政の二人三脚があれば、自ずとしていつか天下をとって見せると信じていたのだ。現に日清戦争を超えた明治30年の初頭にはようやく経営も安定しだしていたのである。何より八幡――日清戦争の賠償金によって生まれた官営八幡製鉄所の教師役という役目を担った時は、まさに我が世の春の一端だった。
 官営八幡製鉄所に派遣されていた釜石は、外国・最新式を貫き、それでいて全く予算に理解を示さない政府と折りが合わず、明治35年の野呂景義の八幡への復帰まで無聊を囲むような気分でいた。野呂は元々農商務省に勤めていて八幡の調査委員会にいたのだが、汚職事件に巻き込まれ釜石製鉄所へ技術相談役として下野していたのだ。釜石の元で官営時代の旧式高炉の改修を行い、その日本式高炉の技術を吸収、発展させたのだから、実質自分のところの技師と言っていいと釜石は思っている。現に、彼の愛弟子の香村小録は今や釜石の常務となって、経営の中心的存在となっているから、そのつながりは単なる相談役には収まらない。その彼の到着によって、ついに釜石も自身の日本式製鉄技術を全力で振るうに至り、本領を発揮することができた。ああ、三年の苦節の後にして無事八幡が自立した時の嬉しさよ!やはりこの国で欧米式をやってもダメなのだ。日本一たる自分がいなくては――と輝かしい思いであった。
 
 ……日露の時も、別に辛いことは無かった。国内市場ではやはり輸入銑鉄との熾烈な争いがあり、皮肉にも、大規模な設備を持つ弟子の八幡の参入が銑鉄価格の下落をもたらしていたのは事実であったが、それでも苦しいと思わなかった。釜石には俺が八幡を育てたんだという自負が、そして日露戦争における好景気に湧く市場での争いは、むしろ元来直情的で喧嘩好きの彼にとっては心が躍るくらいのものであった。相手が官営でも欧米でも、この国で一番を張るのは自分だと。釜石の自負は、自身にかかった田中家の期待に決して劣るものでは無かった。銑鋼一貫体制の八幡に触発されて銑鉄のみならず、鉄鋼一貫設備――八幡で鉄鋼一貫体制を完成させた野呂が、釜石に残して行ったその平炉設備を増強して、本格的に鋼材市場へと進出したのもその時である。日清日露の戦時需要に応えようとした大規模な開発によって、釜石は急激で大規模な増産を行っていた。それはまるで急激な膨張であった。
 この時の田中家と釜石の眼中にあったのは、当面の戦事需要へ応えることにあって、その市場がいつしか萎むであろうことを――全く考えていないようなものであった。
 
 日露戦争の数年後にやってきた市場の急激な縮小は、釜石製鉄所に転落をもたらした。ピークの明治43年、1910年に5万トンの銑鉄を生み出していた釜石は、5年後には2.5万トンへと半減させていた。おまけに外国銑鉄の増加と八幡の参入によって、その銑鉄の値も下落していたことが、経営に二重の打撃を与えていたのだ。加えて田中家の勇猛果敢な財政は、堅実という言葉を知らないものであった。常に拡張を続けていた釜石にとって借りた金を返すというのは、好景気に余った金を多少渡すくらいなもので、積み上げてきた銀行からの負債は、経営難に落ち込んだ釜石にとって既に支払不能な額に達していた。しかし不景気にあって負債を回収しにやってくるのが銀行という生き物である。釜石にとってのメインバンク、三井銀行は冷徹一貫で知られた男であり、彼にも決して容赦はしなかった。
 ああ、釜石はついに窮状に追い込まれ、日清日露の好景気も既に一夜の夢のようなものになった。倒産の危機――官営の時に見たあの苦痛の再来であった。民間唯一の大製鉄所釜石が!こんなことは……有り得ない……。たとえ釜石自身にまだ戦う気力があったとしても、それを支えるだけの資金は、すでに底を尽きていた。
 
 大正3年、1914年に田中製鉄所は三井鉱山への経営の引き継ぎを要請した。釜石は長年の相方と別れるに至って憤然たる思いであったが仕方がない。鉱山にとっても釜石は赤の他人ではないから、釜石側の条件をほぼ飲む形でそれを承諾したが、そこに割り込んできたのが、三井家の顧問であった井上馨であった。彼は釜石の買収を一蹴した。「官営でうまくいかない製鉄業が、三井で引き受けても経営負担を大きくするだけだ」と。この時の釜石の憤然たる感情は、よもやあたり一面を破壊せんばかりであった。こんな侮辱があってたまるか!この俺に……日本一の製鉄所に、「お荷物」だと!?民間唯一の、日本一の大製鉄所という彼の自負に対する最大限屈辱的な評価であった。ああ、それまで、釜石の頭には徹頭徹尾「経営」というものが無かった。たとえどれだけ負債を抱えようが、どれだけ資金が行き詰まろうが、鋼鉄さえ売れればそれが自分の存在意義だと満足していたし、何より自分の価値は決して金によって左右されるようなものではないと本気で思っていたのだ。
 翌年大正4年、三井は買収交渉を打ち切ったが、幸運にも第一次世界大戦の好景気によって、製鉄所も経営の危機から脱していたから、釜石としては自分から蹴ってやったくらいなものだと思っていた。「お荷物」だと……上等じゃないか!今に見ているがいい、俺を迎えなかったことを後悔させてやるくらいの成績を出してみせるからな……。釜石は怒りに震えた。田中家もこの天の采配とも言うべき機会を前に歓喜した。まだ自分達は釜石と共にやっていけるのだ。釜石は、官営でも、財閥にも属さない、まさに製鉄業一本にして大厦を持つ唯一の存在なのだ!
 釜石は、田中家と共にもう一度、奮起して立ち上がっていたが……なぜだか、その心中にはそれまで釜石の人生で一度も感じたことのなかった暗雲が……現れていた。
 
 第一次世界大戦は国際的な鉄鋼の不足によって日本の製鉄業に未曾有の好景気をもたらした。特にそれまで銑鉄市場において支配的地位にあった米英印の輸出禁止によって、日本国内は急激な銑鉄不足に悩まされ、需要急増、鉄価は暴騰!こうなればもはや数を売った者勝ちである。まだやれる……やれるぞ釜石は!この好況に乗り遅れまいと、釜石鉱山田中製鉄所は大正5年には新高炉を建設し、大正6年には資本金を増大し株式会社へと改めて、新たなる鉱山を開発し、原料となる鉄鉱石を増加させた。平炉増設を筆頭とする大規模な設備の拡張と改修も行なった。
 その拡大っぷりはつい一年前まで倒産手前の火の車であった会社とは思えないものだった。田中家の期待は、決死の、そして最後の期待であった。釜石も理解していた。官営時代に見捨てられた田中家のために、必ず応えてみせると。彼は昼夜を忘れるような労働に身を徹し、炉に向かい続けた。だがその猛烈な労働をする理由の中には、胸の内のどこかから現れてきた暗雲から目を逸らして忘れようする、釜石の抵抗も含まれていなかったと言ったら、嘘になる。働いているうちは、いいのだ。目の前のことにいつだって集中できる。それでもふとした瞬間に、一人になった時、釜石の心の中の暗雲は入道雲のように溢れ出し、言いようのない莫大な不安でもってのしかかってきた。その重みは田中家が必死になって釜石のために資金を集めてくるたびに、ますます増していった。暗雲は心の中で、釜石自身の矛盾の溝のように広がりつつあった。感情は田中家の期待に応えようと奮起していたが、理性は過去の経験を冷静に省みようとしていた。あぁ、こんなにも膨張して……この戦争が、終わったら――釜石は必死にその自問を振り払った。分かって、いるのに、分かりたく、ない!
 
 そして戦争はついに4年にして終わってしまった。釜石は、それでもなんとか前を見ようとした。自分は、戦争頼り経営から抜け出さなくてはいけないのだ。むしろ、戦争が終わってからが本題だ!……しかし、その釜石の目前で勃発したのが、終戦翌年の大正8年に起こった、釜石労働争議であった。
 
 その労働争議は、釜石にとって、今までどんな苦痛があっても揺るがなかった「郷里の誇り」としての自負をめった打ちにした。だが、その理由は、釜石自身、本当は気がついていた。釜石の銑鉄は植民地生産の安価な輸入鉄と比べると少し高価ではあったが、その値段に対する質は、値段の差異よりもずっと上であった。しかしそれは、決して彼らと同じ条件では作れないものであった。いやむしろ、ある意味では彼ら「植民地」と同じでさえもあった。釜石の銑鉄のコストパフォーマンスは、釜石の地元の人間たちを「安価な労働力」として動員することで可能にしていた。加えて、第一次世界大戦の時、釜石では短期間に大規模な事業の拡大を行ったが、一方で製鉄所の機械を動かす高い技術と熟練度を有した人員はそう簡単に増やせるものではない。拡大する事業規模、けれども増加しない人員、待っているのは労働力の酷使である。
 そして第一次世界大戦の終結後、米騒動に代表される米価の高騰、隣接する足尾銅山の運動に影響された釜石の労働者たちによる組合の設立によって、釜石では以前からの低賃金と、そうした過酷な労働環境に対する大規模な争議が起こったのだ。以前より、釜石での暴動を警戒していた警察による製鉄所の手厚い警備によって、製鉄所内は幸い大規模な危害を受けずに済んだ。しかし所長宅の破壊や採掘場でのダイナマイト紛失、おまけに軍部による鎮圧にまで発展し、当時の釜石はあわや内乱の体を示していた。
 無論これは一人釜石製鉄所だけの問題ではなかった。欧米大陸と比べて1/7から1/4以下と言われた低賃金(特に日本の紡績業における職工の平均賃金は、インド植民地の職工と同等かそれ以下であった)と、夜間をも徹する長時間労働は、日本の多くの製造業が抱えた構造的な問題であった。特に労働環境が過酷を極める製鋼所や造船所などではより重大な問題となり、1910年代から一気に労働争議の形をとって噴出した。第一世界大戦の終結後に騒動が起こったのも、釜石だけでなく、神戸製鋼、川崎造船、輪西製鉄所、それどころか官営八幡でも起こっていた問題であった。
 それでも――釜石にとっては、絶大なショックであった。釜石は、ずっと自分が郷里から愛されているのだと思っていた。郷里の誇りで、人々も自分を礼賛しているとさえ思っていた。加えて彼は陸の孤島に位置してたから、その労働者の多くも地元民であった。九州や北海道の炭鉱や製鉄所、あるいは瀬戸内海の兵器工場の多くが、出稼ぎ労働者のみならず、囚人、捕虜含む移民までをも用いているのとは全く意識が違った。彼は本当に郷里に根ざしていて、郷里を愛していた。しかし……なんだこの風景は?破壊された製鉄所の所長宅を見て、釜石は愕然とした。それは間違いなく、自分の中にあった矛盾の一つを露出させていた。田中家への期待に応えようとする自分の元で、一人また一人と過労に倒れる労働者たちを見ていたはずなのに、それを無視していたのは釜石自身であった。無理な設備の増設の裏で、その費用を生み出すために、一体いくら彼らへの給料を、福祉への投資を、事故防止策を削ってきたのだろうか?釜石に暮らす人々は、釜石の立地によってその孤島に閉じ込められていると言っていい。彼らは自身の労働が、どれだけ低賃金でも、どれだけ過酷でも、今まで釜石に従順だったのは、それ以外に選択肢が無かったからだ。逃げることのできない労働者――釜石は、自身が彼らのことを何も顧みていなかったのだと見せつけられた。この破壊の跡は、労働者たちの、地元の人間の、郷里の人間の!自分に対する憎悪の証だ……。
 
 畳み掛けるようにやってきたのが金融恐慌と軍備縮小である。また、第一次世界大戦後の銑鉄市場は、戦争から復興した欧米印鉄鋼の輸入再開に加えて、釜石と同じく大戦の好景気によって増産体制を整えた財閥系列の製鉄所の登場によって既に過剰供給に陥っていた。
 田中製鉄所は……財閥の後ろ盾が無い。有力な資金を持つ銀行も、幅広い販路を持つ商社も、自身の不調を支えてくれる他の産業も、釜石にはいないのだ。苦難にあっても、釜石にできることは、ただ鉄鋼を売ることだけだった。釜石にとって鉄鋼一筋の大厦であることは一種の誇りであったはずなのに、それが今や、寂寞たる隙間風にさめざめたる家をもって、なす術もない状況に立っていた。
 もはや釜石には、田中家の決死の期待に応えることも、自身の経営難を否定することも、できなかった。
 苦境の中にあっても、田中家は劣勢であった整備面での合理化を進め、新設備を作り鋼材市場での巻き返しを図ろうと苦心した。苦しい経営の最中でもなんとか賃金を上げて、社員と労働者の融和に努めようとも努力した。
 誰かに終末を告げられるまでは、もう止まることはできない。釜石の負債は、もはやこれだけで新しい製鉄所がもう一つ作れるくらいの額へと達していた。長年釜石に連れ添い、彼を再生させた忠臣、横井久太郎も、大正10年にその生涯を閉じてしまった。奇しくも、その享年は初代田中長兵衛と同じく67歳であった。そしてその息子、二代目田中長兵衛も、体調に異変をきたし始めている……。そういえば、もう4年後には……彼も「67歳」になるが……。暗雲はすでに釜石の理性を破綻させていたが、その感情と体はいまさら休むことを知らず、彼は無心で炉に向かい続けた。
 自分は……これしか、知らないのだから。

 大正12年。燃える本社は、まさしく天から告げられた終末の暗示だった。誰か、他の人間や会社に突きつけられるより、ずっと釜石の心に突き刺さった。関東大震災で瓦礫とかした京橋はまさしく自分そのものの未来のように思えた。釜石は目を覆う。
 斜陽だ。
 自身の破滅、膨張の爆発、否、かつての輝かしい日本一の記録!眩く期待の数々……。気が狂う!さまざまな感情が心を掻きむしった。自身の破滅を肯定する理性と、過去の記憶でもってしか否定し得ないこの感情、この矛盾!
 自分の存在!大きすぎるこの存在が!ああ、こんなにも大きすぎるのに、”偉大な”はずなのに!それでも期待に応えられず、人間たちを消耗させる、自分は──本当にこれでは──「お荷物」どころか、永遠に膨らみ続ける、呪いか何かだ!
 何かが……釜石の自負を、押しつぶす音が聞こえた。
 粉々になった瓦礫、歪んだ鉄骨は、釜石の心であった。

 大正13年。負債総額1000万円、給料の未払いは三ヶ月に渡り、ついに田中鉱山釜石鉱業所は三井鉱山に買収された。買収において釜石側の代表者となったのは、かつて官営八幡製鉄所を釜石の技術によって救った野呂景義の愛弟子、香村小録であった。
 買収を見届けた三日後、二代目田中長兵衛はその生涯を閉じる。享年67歳。釜石を救った三人の恩人は、終に、皆釜石の前から過ぎ去った。
 

 涙を流すに止まらず、遂に自分の胸の中で項垂れて号泣し出した釜石を前に、鉱山は深いため息をついた。どうやら自分は一つ勘違いをしていたようだ。買収に際して、久しぶりに釜石と再会した鉱山は、彼の変貌に驚いたことを思い出した。
 八幡で親しく接していた頃の彼は、才気煥発で自信に満ち溢れた、大柄な男だった。大正3年の買収の時も、やはり彼は確かに自信家であった。幕末生まれのくせにいつでも若々しく思えたのは、その情熱的で直情的な性格ゆえであった。
 しかし、大正13年に見た彼は……めっきりやつれているように思えた。若々しかった彼の顎には無精髭が生え、態度こそ直情的で表情豊かな顔を見せていたが、ふと彼が一人でいるところを目にすると、遠い目をして何もせずにぼうっとしていた。まるで幽鬼みたいだな――普段は人を冷やかすのに遠慮のない鉱山でも、さすがにそれは言えなかった。釜石の不景気はよく理解していたし、十分に物も食えていないだろうに、買収の気苦労を抱えて、疲労困憊ともいうべき状態なのだろう。そう思っていたからこそ、鉱山はこの買収話にもケリがついて、釜石の経営改革の目処がつけば、きっとまた元気になるだろうと考えていた。
 鉱山は目の前で嗚咽をあげる大男の背をさすった。参ったな……と首を捻る。人を慰めるのは大の苦手だ。
 要するに、釜石の変貌は、経営云々よりももっと深い、ずっと精神的なところにあった。期待に応えられないのが怖い――拡張策に対する消極的な、どうせ駄目なのだろうという諦めが……しかしそれでも諦めれば死ぬしかないことも分かっているという逃げ場のない感情が、今、釜石を慟哭させている最大の理由だった。釜石は嗚咽の中で、ようやく自分の中の暗雲の、恐怖の正体を痛感した。それは、自分に期待をかけた人々が、終には破滅して、皆目の前から去っていくのであろうという予感であった。官営でもだめで、民間でもだめ、ここに至って、財閥においてでさえも失敗したら……本当に、自分は破滅するのだ!そして、その破滅には、愛した郷里をも巻き込むだろう。
「おい……はぁ、全くよぉ……」
 情けないぜ、鉱山は言おうとした言葉を飲み込む。いまさらこんな言葉でこの男が泣き止む訳はないだろう。とは言っても、泣き止んでもらわなければ、鉱山としても困るのだ。会社が期待に、投資に応えられなくてどうする!?それでは営利団体ではなくもはや責任を持たない慈善団体だ。どうすれば釜石を説得できるだろうか……。鉱山は天を仰いだ。が、ふと妙案を考えついた。
 鉱山は釜石の背を叩く。
「あぁー……なんだか、懐かしいなぁ、えぇ?」
 涙は止むところがなかったが、その意外な言葉に釜石はなんとか顔を上げた。涙はすでに鉱山のスーツに染み込んで跡をつけている。鉱山は思わず苦笑した。熱波に喘ぐ炭坑の中で生きてきた鉱山は、あまり洋服を好まない。物産が勝手に新調してきたこのスーツもどうせ滅多に着ないだろう。涙でも鼻水でもなんでもつけてもらってかまわないな……。
 鉱山は釜石の背をさすりながら、穏やかな笑みで語りかけた。
「俺たちも、昔……どっかで、今のお前みたいに、上手くいかなくて泣いてる製鉄所を見たことあったよなぁ……」
 その言葉に釜石もハッとしたような顔をした。鉱山は優しく言葉を続けた。
「あの時も……俺は参ったよ。慰めるのは苦手だからなぁ……。お前がなんとか泣き止めさせようとしてるのを、後ろから見てるだけだったね……」
 そこまでいうと、釜石もすでにそれが誰のことだか理解していた。
「や……八幡ぁ、あぁッ……」
 呂律の回らない舌で、釜石はなんとかその名前を紡いだ。八幡製鉄所……あぁ……彼が泣いていたのも……こういう感情だったからなのだろうか。