「断る。君が大規模な開発をするというのは止めんが、私は全く金を出したいとは思えない」
開口一番、三井銀行はバッサリと鉱山の提案に拒否の意向を伝えた。鮮やかなその切り口は冷徹そのものである。
釜石が三井本館にくる数分前、鉱山は銀行に釜石の処遇に対する意見を伝えた。要するに、銀行からも融資をしてくれないかという根回しである。しかし、銀行側は一向に取りつく島もない様子であった。
「銀行さん……そんなことを言わないでください。釜石の経営がうまくいってない以上、テコ入れをするしか改善の見込みはないでしょう。メインバンクの貴方が出してくれないだなんて知られたら」
「興業や勧業にでも行けばいいだろう」
まるであしらうような言い口である。鉱山は頭を抱えた。三井銀行は自分よりもずっと釜石との付き合いが長いし、その苦境をよく熟知しているはずだ。釜石の改革に望み薄だと考える理由もわかるが、だからと言って、30年近い貸付先に対してなんて薄情なんだ。鉱山はそっけない義兄を恨む。
「はぁ、ひどい言種ですね……そんなに製鉄業がお嫌いですか」
「あぁ。釜石の田中長兵衛も、そして北炭の井上角五郎も、製鉄に関わる男は必ず我々銀行に不誠実を働いてきた」
「それで悪いのは経営者であって釜石や輪西本人には関係のないことでしょう」
「関係のない?実務の成績が良くて銀行に不誠実を働く会社が、この世にいるとは思えないがね……製鉄業は泥沼だ。誰がやっても結局は自転車操業になる。そして皆その身を破滅させる」
鉱山の恨みがましい目も意に介さず、銀行は言葉を継いだ。銀行にも、自身が鉱山よりもずっと製鉄業の経営の難しさを理解しているという自負があった。簡単な文句で貸付のyesを出せるほど甘くはない。特に昨今は第一次世界大戦の終結からずっと慢性的な不景気にあり、金融はすでに逼迫の状態なのだ。鉱山は、この銀行の説得には相当骨を折らないといけないだろうと考え、身を乗り出して言葉を強くした。
「貴方のようなこの国一番の大厦の主人でさえもそんなふうに諦めなさったら、一体日本の製鉄業はどうなるんです!?いつまで経っても欧米頼り、近いうちには中国だってきっと製鉄業の大国と化すでしょう。今だって輸入の安い鉄鋼に押されているのに……もし、その時になっても日本が今のような製鉄業を続けていたら、それこそ――綿花業の二の舞ですよ!」
平静の顔で黙って鉱山の熱弁を聞いていた銀行だったが、綿花の話を持ち出されるに至って、その眉間に深い溝ができた。鉱山の言わんとすることを察知したのだ。
「実に素晴らしい言い回しだな鉱山!この私に……中上川時代の勇猛さを取り戻せとでもいうつもりか?」
銀行の鋭い語気と見透かすような物言いに、鉱山も思わず押されかけたが腹に力を込めてその目線に相対する。
「えぇ!だってこの国の工業を引っ張ってきたのは貴方じゃないですか!」
「……」
銀行は黙って鉱山を睨んだ。何か苦悩するように顔を歪ませている。銀行としても、思うところがあったのだろう。
綿花業の二の舞――三井銀行に中上川が居た時代、明治20年代は紡績産業の一大ブームの時代であった。しかしながら、そこで用いられていたのはほとんど中国産やインド産の安い輸入綿花であり、日本の綿花は質・量の双方においてついに輸入綿花に対抗できず、市場からいなくなっていった。
そして工業に対する自負――これも銀行の心臓を抉るような言葉であった。そもそも三井財閥が三池炭鉱の払い下げを受けたのも、物産と三池の付き合いだけでなく、払い下げの入札に大金を出した中上川の壮大な目標あってのことである。三井の工業化とそのエネルギー源となる石炭の統一!中上川の眼中にあったのは、商業や金融業ではなく、いつでも工業であった。そして中上川によって最大の性格づけをされた三井銀行も、かつての夢を忘れたことはなかった。
中上川が……ここにいたならば、果たして釜石に出資していただろうか?
「……」
銀行はゆっくりと深呼吸をした。目を閉じて沈痛の面持ちで考え込んでいる。鉱山もここが説得の山場だと観念し、黙ってその姿を見つめていた。
「鉱山」
しばらくして、銀行はその重苦しい口を開いて三井鉱山に向き合った。その目にはいつなん時でも衰えない強い意志が溢れている。銀行は真剣な顔で、ゆっくりとその言葉を紡いだ。
「西行やブッダは修行のために妻子を打ち捨てた。イカロスは太陽に到達しようとしてその命を落とした。人の世で理想を叶えるためには、それに見合うだけの何かを捨てる必要がある。あるいは、それが失敗した暁には、忍び難い何かを失うことになる……」
「……」
鉱山は兄の言い分を静かに聞いている。
「懐かしい!君のいう通り、私もかつて工業に対して本当に熱意を持っていた。中上川が描いた工業主義!三井による工業の支配、石炭の統一……」
そこまで言うと、銀行は過去を懐かしむように目を閉じた。しかし、すぐに厳しい面持ちで鉱山の目を見る。
「だが結局……私の”遠大な”理想は失敗した。そしてその失敗の果てに、私が失ったもの!それが中上川だ」
銀行の言葉に鉱山の顔も険しくなる。これは……。
「鉱山」
さっきよりもずっと重い呼びかけだった。
「君は……製鉄業のために、この私に、一体何を捨てろと言うんだ?」
三井鉱山は、もはや何も言えなくなってしまった。
兄の剣幕を前に逃げるように三井本館から出てきた鉱山は、今更帰るのも忍びがたく、どうせ釜石と自分は散々話したことがあるのだから、居なくたって構わないだろうとシラを切って隅田川の淵でタバコをふかしていた。当然ぼうっとして何も考えていなかったわけではなく、釜石のための資金策について色々頭を回らせていたのだ。ついでに、抜け出してしまったことについて、兄貴分の物産へどんな言い訳をしようかとも考えた。とりあえず、あいも変わらず仲の悪い銀行のせいにしたら収まるのではないか?
そこへ、釜石のよく通る声が鉱山の名を叫んでいるのが聞こえた。
「悪いなぁ、夜までにはお前の方に顔出そうと思ってたが……まさか自分から来てくれるたァ頼もしい弟分だ」
へっへ……と三井鉱山はいつものような間の抜けた笑い方で釜石を見た。釜石はその呑気そうな姿に苦笑する。弟分か、確かに鉱山の資本下に入るのだからその表現も間違ってはいないが。
「お前の兄貴が激昂して出てったとかなんとか言ってたから、俺はてっきり荒れてねぇかと心配したが、この様子なら心配なさそうだな」
釜石はいつものぶっきらぼうな調子を取り戻して三池に話しかけた。銀行には頭が上がらないし、物産も初対面で、どうにも敬語を使わざるを得なかった。一方で八幡に行った時からの知人である三池は、その温和な癖にどこか野人的な性格が馬にあい、なんとなく心の置けないところがあるので、釜石も気を遣わずに話すことができる。
「あー……銀行の兄貴が?激昂って、なぁ……そんなに怒ってたかな……」
鉱山は欄干にもたれかかって空を仰いだ。
「お前の兄貴は相変わらずおっかねえよ。銀行と二人きりにされた時はどうなるもんかと……」
「そりゃいいな。銀行にひぃひぃ言わされてるお前さんを見られなかったのは残念だ」
「なんで俺が詰められてる前提で話してんだ?」
釜石は思わず鉱山を睨んだ。確かに多少……辛い物言いはされたが。鉱山は手を振ってその目線をあしらうと、本題とばかりに真剣な面持ちで釜石に質問した。
「物産の兄貴には会ったか?」
「おう」
「……機嫌良かったか?」
「良いなんてもんじゃないぜ。本当に……こっちが怖くなるくらいの懇ろっぷりだったよ」
「あぁ、そうか……」
釜石の言葉に、鉱山はタバコを吸って長いため息をついた。煙が霧散していく。顔を見るに安堵のため息だろうか。釜石も身を乗り出して自分の本題を切り出す。
「お前のこと探すっつったら、物産に休んどけって引き止められたがな。お前と二人きりで話したいことがあるってんで逃げてきてんだ」
「おぉ、すっげぇ、俺と二人きりって?そりゃお熱い。おじさん嬉しくなっちゃうねぇ……」
あまりに適当な鉱山の返事に、釜石はこづきたくなる気持ちを抑えて言葉を続ける。
「こっちはもう夜行列車と歩きで疲れてんだ!こんなとこで話してたらぶっ倒れちまう。なんか奢ってくれよ。肉とか中華料理とか」
「おい直球だな!はぁ……どこに行こうかね」
鉱山は面倒くさそうな顔をして、頭を抱えた。ここで無碍に断らないのが鉱山の人の良さである。
「俺は絶対肉がいい。魚はどうせ何食ってもうちの方が美味いからな」
「はいはい、じゃすきやき鍋でいいかね……。しっかし大丈夫かぁ?田舎もんが牛なんて食ったら、腹壊すんじゃねぇのか」
鉱山は人の悪い笑みで釜石の背中を叩いて歩き出した。釜石も苦笑しながら仕返しとばかり、威勢よく鉱山の肩を叩く。温和とはいえやはり北九州出身の鉱山である。たまに毒が出るのはご愛嬌だが、釜石も喧嘩で遅れをとるような性格ではない。
「あんただって典獄や控訴院ばっかで小食だろ?いきなり肉なんて食ったら下痢で全部出しちまうな」
釜石の言葉に三池は驚いたように一瞬立ち止まった。
「うぉ……お前その言葉どこで覚えてきた?いやはや、お前のとこもついに囚人使うようになったか……」
「使ってねぇよ!うちはいつでも地元民主義だ」
慌てて否定する釜石の姿に、フン!と三池は鼻を鳴らした。歩きながら、首を捻って説教を垂れ始める。
「駄目だな……いつも言ってるが、地元民はよくねぇよ!すぐに団結する、おまけに逃げるアテがあるから真面目に働かねぇ……」
「そりゃどうも。大陸に近い御方は随分人手に恵まれていらっしゃる」
三井鉱山――三池の性格は好きなのだが、その労働者に対する扱い方に対してだけは、全く釜石と相容れないところがあった。
三池炭鉱の労働環境の悪名高さは天下有数だが、それでも足尾銅山争議に連なるストライキや、第一次世界大戦終結後の動乱においても一切労働争議の騒ぎが起きなかったのは、その労働者に対する采配――離島民、大陸や半島の捕虜や移民、囚人を含む本州人をそれぞれ格差をつけて待遇することで労働者たちを団結させない風土を作り出していたことにあった。おまけにその離島民や移民への扱いには、物産を含めてかなり闇の深い噂が絶えない。釜石とて労働者に過酷な扱いをしてきた以上、あまり人のことを言えたものではないが、見るからに温和な三池が、労働者に対してはそういった凄まじい狡猾ぶりを見せているのには、同業者でありながら恐怖すら感じていた。
釜石は話題を逸らそうと首を振った。
「あぁ、やめだ。飯の前にこういう話をするのはよそう」
「そうか?お前のとこも争議で大変だったろぉ。経営だけじゃなくて労働者の方も梃子入れてやろうか?」
三池はさも楽しそうに釜石の顔を覗き込んだ。釜石は首筋に嫌な汗を感じてすぐさまそれを振り払った。
「辞めろ」
「へっへ……ま、別にお前が労働者を優遇しようが、賃金を上げようが、俺は構わんよ」
釜石は意外に思って鉱山の方を振り向いた。てっきり事務方面には緊縮を命じられるものかと思っていたのだ。
「三鬼っていただろ、お前んとこに」
「三鬼って……隆のことか?あいつは……労働者優遇派閥だが……」
三鬼隆は東京大学の法科出身だが、訳合って釜石に入社した青年である。未だ丁稚奉公風土の強い釜石の事務方には珍しいインテリゲンツィアだ。彼の学生時代にはロシア革命があり、東大の中でも労働問題を廻る議論が起こってきた時分の卒業生であった。労働争議の後、彼は本店から釜石へ転勤し、労働者と事務員など管理者との関係を融和させようと随分骨を折っていた。しかし3年前、その融和方針を巡って現場と対立し、本店の方へ連れ戻されてしまったのである。釜石としては、懐かしく、そして少し申し訳なく思うような名前であった。
タバコをふかしながら鉱山は答える。
「うちの婿の牧田が三鬼のこと気に入っちまってなぁ、釜石の庶務課長にして、おまけに自分の秘書にするってんだ。三井系でもないのにいきなり秘書にするとは、牧田も何考えてんだか……」
三池の牧田環といえば三井鉱山の指導者であり、三井のトップ、三井合名理事長を務める團琢磨の娘婿である。
鉱山は言葉を区切ると、口角を上げて釜石を見た。それは人の悪い笑みでも、腹に何かを隠すようなものではなく、心底温かみのある顔であった。
「ま、お前さんのとこだけじゃない、資源業界きっての出世頭になれるかもな……」
自分のところの社員の出世――釜石にとってはまず第一の嬉しい知らせであった。